逸脱の音楽―機構の打破から読むリオタールの芸術論と幾つかの音楽的事例―

この文章は,北海道教育大学札幌校芸術文化課程音楽コース2006年度卒業論文「今日の音楽とリオタールの芸術論――論述の可能性とその限界――」を部分的に修正したものである。

 

 

目次

 

目次

序章

第1章  リオタールの芸術論

第1節 リオタールのポストモダン論

1.物語の失墜

2.批判――脱正当化

3.展望――ポストモダン

4.逃走というイデオロギー

第2節 リオタールの芸術論

1.フロイトから,あるいは,フロイトへ

2.現代芸術へ

3.呈示し得ないものと逸脱

第2章 音楽への路

第1節 リオタールの音楽論

1.音楽という機構

2.リオタールの音楽論

第2節 リオタールの限界

1.2つのポストモダンの間に

第3章 実例

第1節 ジョン・ケージ

1.音楽の果て

2.問われたものと問われなかったもの

第2節 リュック・フェラーリ

1.イメージの奪還

2.矛盾の探求

3.自由,軽やかさ,そして戯れ

第3節 鈴木治行

1.時間の脱臼

2.映画

3.共同作業

4.語りもの

終章

引用・参考文献一覧

 

 

 

序章

 

 ジャン=フランソワ・リオタール(Jean-Francois Lyotard 1924-1998)の思索活動において,美学,そして現代芸術は重要なキーワードであった。しかしながら,美学,そして現代芸術――殊に音楽――にとって,現代思想を語る上で欠かせないこの哲学者の名前は必ずしも重視されているとは言えないようだ。70年代から80年代にかけて,芸術の領域でも盛んに叫ばれたポストモダンについても,リオタールが展開した議論を踏襲して語られたものはそう多くはない。

本稿は,西洋合理主義批判を展開するリオタールがポストモダンという言葉で考えていた機構の打破と逸脱という考え方に注目し,芸術に関する彼の論述でそうした筋書きがどのように展開されたのかをまとめていく。機構の打破という戦略が抱えるいくつかの問題点を探るとともに,リオタールが求めた柔軟さや軽やかさの理想を踏まえながらリオタールのポストモダン論を展開し,後半では,具体的な作家や作品を実例として挙げ,今日,ある種の音楽活動を論じる際のリオタール芸術論の利用の可能性を探ろう。

第1章の第1節ではリオタールの論述の筋道を明確にするため,彼のポストモダン論とはどのようなものであったかまとめる。「1.物語の失墜」では大きな物語とその失墜というリオタールのポストモダン論における重要な概念について,「2.批判――脱正当化」では,西洋近代の学知の権威や正当性を疑い脱正当化して行くリオタールの手法について,「3.展望――ポストモダン」ではその学知を打ち破る積極的姿勢としてのリオタールのポストモダンとは何かについてまとめる。さらに「4.逃走というイデオロギー」では,リオタール自身が出生状態のモダニズムとして考えていたそのポストモダン論に隠されている,イデオロギーからの逃走や逸脱というイデオロギーについて指摘を試みた。

第1章の第2節では彼の芸術に関する論述の特徴をまとめる。「1.フロイトから,あるいはフロイトへ」ではリオタールの論述の骨組みとも言えるフロイトの諸理論の受容と展開についてまとめ,「2.現代芸術へ」では,芸術について論じるリオタールのその射程を明らかにする。「3.呈示し得ないものと逸脱」では,機構を打ち破り,理性的に把握しがたいものを取り入れようとするリオタールの論が抱えるアポリアと,それを解消する“呈示し得ないものの存在を呈示する”という考え方について,フロイトの無意識の理論を参照しながらまとめていく。

続く第2章の第1節において,いよいよリオタールの音楽に関する記述を読み解いていく。第1章の内容を踏まえながら,「1.音楽の機構」ではリオタールが論じた機構としての音楽とは何であるか,歴史的視点を交えながら説明する。「2.リオタールの音楽論」では,リオタールが機構を打破する音楽を評価し,論じていたこと,そしてその姿勢がこれまでと同様,やはり近代合理主義批判,理性批判という意図に基づいて築かれたものであることを確認する。

第2章の第2節では,リオタールの論述を客観的に見つめ,これまでの論述で明らかとなったいくつかの問題点を確認し,そこに新たな視点や姿勢を付け加え展開を図るため,リオタールが称揚したのとは異なる態度や作品例を持つもう一つのポストモダン,折衷主義―ポストモダンについて考察する。折衷主義―ポストモダンの論者達とリオタールのポストモダン論との間の相違点や共通点を探ることによって,リオタールの議論を踏まえて展開される続く章での具体例の考察に,さらなる柔軟性や軽やかさが付加されることを狙った。

第3章の第1節では,ジョン・ケージ(John Cage 1912-1992)に関するリオタールの論述を再考し,リオタールが指摘しなかったケージの側面について触れる。さらに第2節ではフランスの作曲家,リュック・フェラーリ(Luc Ferrari 1929-2006)の活動を論じる。フェラーリはリオタールと同世代であり,リオタールのポストモダンの考え方に最も近い態度を取り続けた作曲家の一人であるように思うが,不思議なことにリオタールはフェラーリについて論じていない。本稿ではフェラーリの個性的な活動を紹介しながら,リオタールの論述とフェラーリの姿勢との共通点を探っていく。そして第3節では,日本の鈴木治行(1962-)の活動を取り上げる。鈴木は60年代に生まれた新しい世代の作曲家であるが,音楽にとって様々な面で問題提起的な作品を生み出し続けている。彼の作品における逸脱や機構の打破の要素に注目するとともに,関係性の追及という彼独自のスタイルが生む,統一的理念に集約されるのでも,相対主義的な個人主義に行き着くのでもない新しい形態を紹介し,枠組みを解体し,既存のコンセンサスに回収されないポストモダンの音楽における今日的な姿を呈示したい。

 

文中の引用に関しては,巻末に一覧としてまとめ,引用箇所については本文中に括弧で括り,著者名,出版年,ページ数の順で明記した。インターネット資料に関しては執筆年月日が不明であるものが多いことから,アルファベット記号で区別している。文献の訳出は,邦訳がある場合それを参考にしつつ,筆者が新たに行った。また,音楽作品のタイトルは《》で囲い,映画作品のタイトルは『』で括った。

また,本改訂版を作成する中での自己批判その他は網掛け文字で脚注に示した。

 

第1章  リオタールの芸術論

 

第1節 リオタールのポストモダン論

 

1.物語の失墜

 70年代から80年代にかけてリオタールは,ある領域を規定・規制する機構dispositif[1]や権力の正当性を問いに付し,その仮象性を暴露しようと試みていた。そして,様々な分野でそうした虚構の権力による要請から離脱・逸脱する動きを称揚し,合理性や理性といった西洋的な枠組みを解体しようとしていた。

 リオタールのこうした思索は,理性的な主体の哲学に対する批判にも見ることができる(リオタール/小林 1986: 17)[2]。20世紀の多くの哲学者がそうであったようにリオタールもまた,近代西洋が歩んできた道を批判的に見つめる一人であった。50年代アルジェリアで現地の解放運動に積極的にかかわったリオタールにとって,理性的な主体の概念を信奉する啓蒙主義や合理主義,それに支えられ広められた諸概念に対する批判は,ポスト構造主義以降の哲学的流行以上の現実的で複雑な意味を持っていただろう。

例えばリオタールの著作の中でもとりわけ有名な一冊である『ポストモダンの条件』(Lyotard 1979)では[3],啓蒙主義に代表される近代のイデオロギーを「大きな物語」(ibid.: 7)と呼んで,ポスト産業主義社会における知の変化に伴う,そうした物語の失墜が中心的に論じられている[4]。

 この物語の失墜について極度に単純に要約しよう。西洋の学知(la science)[5]は,様々な形態の知(le savoir)から選別されている。あるコンセンサスに基づく共同体――学問的な専門家集団――が組まれ,学知とはそのコンセンサスに基づいて承認されたものである。ところで,そうした学知は真なるものを求めるものであり,学知の言説というのは正当性が保証されていなければならない。だが,正当化のためにこの学知が依拠しているメタ言説――何が正当であって,誰がそれを決定するのかという問いへの答え――というのは,精神の弁証法であれ理性的人間の解放であれ,実はそれ自身では正当性を欠く何らかの物語に過ぎないのだ。これが,大きな物語と呼ばれるものである。近代まではこの大きな物語が信じられ,正当化の役割を担ってきたが,今日,様々な問題を考える上で,こうした物語が必ずしもうまく機能せず,その正当化の能力が疑問視されるようになった。物語への不信感,つまりこれが「大きな物語の失墜」である(ibid.: 7-9)。

 そして,こうした理性主義や合理主義といった近代の大きな物語の失墜とともに,理性的であることを求め,そうでないものを排除する枠組み――機構――はその根拠を失い,これまで抑圧されていた無―機構なものに光が当てられるようになった。

 

 

2.批判――脱正当化

リオタールによって学知は,克服されるべき面をもつ,戦うべき相手として,非常に明確に設定されていた。リオタールによれば西洋の学知の言説はあるひとつの大きな物語,ひとつの恣意的な《選択》によって生み出されたものである。リオタールはこうした学知の言説が生み出されるフィールドを,そうした《選択》の上に成り立つコンセンサス――文化(Lyotard 1979: 37)――によって結ばれた,知る者同士のゲームの場であるととらえる(Lyotard 1979: 7, 43-44)。

「規則がないならばゲームはない」(ibid.: 23)といわれるように,学知にはルールがある。そして西洋の学知は真なるものを追求するものであって(ibid.: 7),規則に従っていない言表,つまり論証と証拠によって保証されていない言表を認めることができない。学知はその規則に従わない知の諸形態を「野性的,原始的,発展していないもの,未開の,狂人,臆見や風習や権威や偏見や無知やイデオロギー」(ibid.: 48)とみなして貶める。これが,西洋近代の不寛容性,文化帝国主義の筋書きなのだが(ibid. ),大きな物語が失墜し,こうした学知の恣意性が暴露され,その権威や正当性が問い直されることとなった。この問い直しの作業のことを,脱正当化(La delegitimation)という。

リオタールによれば《脱正当化》の芽は19世紀の大きな物語にすでに内在していたという(ibid.: 63)。近代の学知を支えるものであった「思弁的機構は,まず何よりも,知との関係において一種の曖昧さを隠し持っている」(ibid. )。例えばある指示対象について論じた言説というのは,それが言及する対象について本当は知らない。対象を実証するということは,そもそも対象そのものを知らないがために,学知の規則に従ってそれを解釈していく作業であって,そうして生み出された言説を正当なもの,知である,として認可するためには,それらを正当化するような思弁的言説のなかにそうした言説が正当なものであるということが明記されていなければならない。だが逆にそうした思弁的言説を学知のゲームの規則に照らしてみれば,「正当化の言説そのものが正当的ではないこと」(ibid.: 64)が明らかとなり,懐疑の対象となってしまう。例えば,実証的な学知の言説というものは,実証的であることこそが知である,といった前学問的な知に属することでしかその正当性を得ることができないのだ(ibid. )。リオタールは,学知が依拠して来たこのような諸前提を,非常に冷静に問い直すことで,それまで信じられていた学知の正当性を揺るがしていく。

またリオタールは複数の異なる言語ゲームが存在するという考え方から[6],「学知はそれに固有のゲームを行うのであって,他のゲームを正当化することはできない」(ibid.: 66)ともいう。そのため例えば啓蒙主義の,「扉は閉じている〔引用者注:啓蒙されていない〕,だからそれを開きなさい〔引用者注:啓蒙せよ〕」(ibid. )という筋書きは,対象を定義する表示的言表と行為を規定する命令的言表という二つの異なる言語ゲームを混同しているといわれるのだ。閉じた扉を開くべきであるということについて,表示的言表は,正当化のよりどころにはならない。学知は固有で独立した言語ゲームのひとつにすぎず,特別な権威は認められない。学知はこのように脱正当化されて行く。

 

 

3.展望――ポストモダン

 こうして近代の大きな物語は失墜し,西洋の学知は脱正当化された。しかし,どんなに楽観的な(あるいは悲観的な)論者であっても,今や大きな物語の時代は終わりを迎えたと断言できるほど,状況が安定して穏やかなものではないことを知っているし,それが完全に払拭されたと考えるものはいないだろう。リオタールも,今日の状況が多くの問題点を抱えているということをはっきりと述べている。

すでに,社会の情報化に伴い,情報のやり取りに適した知の形態が推奨され,その他が排除されてしまうような新たな規制の出現が指摘されている(Lyotard 1979: 14-17)。また,経済が求める遂行性追求のイデオロギーは学知のフィールドにたいして非常に大きな影響力を持っており,学知はそれによってさまざまな規制を被っている。教育の場では,売れるものを教えるという事態が日常的となり,多様化し無数に存在するパラダイムの中で,経済のフィールドと同じイデオロギーに回収された学知は,経済的バックアップを受け,正当性を獲得し庇護されるようになっている(ibid.: 78-80)。さらに,近代の啓蒙のプロジェクトを継続しようとする論者も存在し,近代の物語は失墜するどころか,ますます熱心に追及されることさえある[7]。

リオタールは,メタ言説による不当な規制や遂行的でないものの存在を奪う遂行性追求という新たなイデオロギーへの回収を逃れるには,遂行的ではない多様な言説を受け入れること,ひとつのメタ物語に回収されることなく並立する状態,パラロジーを受け入れることが重要だと考えている(Lyotard 1979: 104-107)。また,『非人間的なもの』(Lyotard 1988)では,こうしたあるイデオロギーや理性の枠組,機構から離脱する動きが,学知の展開そのものによって求められているともいわれる。より良い集団生活のための制度の改良や,それら制度を批判する力,それを逃れようとする誘惑などは,文学,諸芸術,哲学など様々な学知の機構,制度の内部で非常に重要な役割を担っている(ibid.: 11)。学知は本来,「反証の言表によって反論されうる・・・・・ポレミックな」(Lyotard 1979: 46-47)ものであって,相違や対立に重点が置かれながら発展するものである。そのため,あるひとつの「パラダイムの庇護のもとになされる研究は,安定し」(ibid.: 99)活力を失ってしまうため,新たな「説明能力をかき乱す力」(ibid. )を要求するようになるはずなのだ。[8]

『知識人の終焉』(Lyotard 1984)でリオタールは,デュシャンやケージやジョイスといった芸術家たちの名を繰り返し挙げて,彼らの活動に見られる展開の力について論じている。彼らは「公認の判定の基準を問い」(ibid.: 15),「伝達可能で,受け入れられているパラダイムに,自らの活動を一致させることよりも,それを探索し,試すような能力を保持」(ibid.: 39)するという。リオタールは物語の失墜と共に顕在化した,このような,さまざまな領野における既存の枠組みを揺るがす活動,学知における科学者や哲学者,芸術家らの逸脱行為,自らの限界を試練にかけ全体主義的な遂行性のイデオロギーに集約されることのない――ホモロジーではなくパラロジーへと向かうような――共約不可能な知のあり方,学知の展開に必要不可欠であるような逸脱行為のことを,「ポストモダン」(Lyotard 1979: 8)と呼ぶのである。

ポストモダンの知とは,イデオロギーの虚偽,つまり学知のさまざまな領域における「メタ規制(《前提》)を明るみに出し,そのパートナーたち〔引用者注:学知のゲームのプレイヤーたち〕に他のもの〔引用者注:他のメタ規制の存在〕を受け入れるよう要求する」(ibid.: 105)。つまりポストモダンの知とは,すべてのゲームを統括するような唯一絶対的なコンセンサスの存在をはっきりと否定し,それぞれがローカルであるような複数のゲームの存在を認め,パラロジーを称揚するものなのである。それは,論証の多様性を受け入れられるよう,「我々の,差異に対する感受性(sensibilite)を洗練させ,共約不可能なものを受け入れる能力を強くする」(ibid.: 8)。リオタールはこのような,理性や合理性に基づく学知のコンセンサスによっては規定され得ないもの,現前し得ないもの,非理性的なものを解放するポストモダンの動きを称揚する[9]。

 

 

4.逃走というイデオロギー

 このようにリオタールは,前進的で積極的な力を持つものとしてポストモダンの活動を考え,これによって大きな物語のような支配的なイデオロギーを解消していけるという希望を抱いている。だがリオタールのポストモダンの考え方にはある閉塞感が付きまとう。

リオタールは1986年の『こどもたちに語るポストモダン』(Lyotard 1986)において,「ポストモダニズムは,終わりにゆきついたモダニズムなのではなく,出生状態にあるモダニズムで,恒常的なものであると了解される」(ibid.: 28)という有名な言葉を残している。この一文は,ポストモダンという言葉が,リオタールの意図した活動様態の呼称としてではなく,モダンの終焉の先に訪れる何らかの時代に対する呼称と誤解され論争となったことを受けて書かれた文である。リオタールはここでポストモダンが,コンセンサスに回収されることを拒否し,イデオロギーから脱するために活動する動的な状態の呼称であることを確認しており,さらに,「出生状態のモダニズム」(ibid. )という言葉によって,そうした活動がモダニズムに対立するものではなく,むしろやがてはモダニズムとして一つの固定したあり方に至る何物かであることを示そうとしている。つまり,ひとつのイデオロギーからの逃走や逸脱というのは,その作業が完遂してしまえば,新たなイデオロギー,新たなモダニズムとして振り出しに戻される。リオタールが描いたポストモダンは,あたかもエッシャーが描いた世界のように,追うものであり,次の瞬間には他の何かに追われるものとなる,果てしない変転様態なのだ。

リオタールは現状維持や復古の動きを敬遠し,変化に向かう動きを積極的に称揚する。彼は既存の枠組みを壊すことを何度も好意的に論じ,枠組みを固守する姿勢を認めることはない。このように変化を追い求めるリオタールのある種偏った姿勢は,現行のイデオロギーから逃走し常に逸脱を追い求めるという,新たなイデオロギーへの帰属とも取れる。そしてこれが,イデオロギーからの逃走を説くリオタールのポストモダン論に付きまとう閉塞感である。

第2節 リオタールの芸術論

 

1.フロイトから,あるいは,フロイトへ

リオタールのポストモダンが出生状態のモダニズムでやがて古びて一つのイデオロギーに堕ちるのだとしても,逸脱や変化に対する積極的姿勢は,その時々のイデオロギーや悪しき習慣,アカデミズム,「パラダイムの庇護のもとになされる研究」(Lyotard 1979: 99)の輪郭を明確にし,それらに対抗する戦略として有効である。リオタールは同時代の芸術を論じる際にも,その作家や作品が既存の枠組みを打ち破る部分に注目し,論じて行く。ところで枠組みからの逸脱と打破に注目するリオタールのこうした基本的姿勢は,フロイトの理論の独特の受容と展開によって形成されたものである(篠原 1984: 236)。

リオタールの 「『ディスクール・フィギュール』や『欲動機構』をはじめとする70年前後の著作を貫いている基本的な問題設定のひとつは,いわゆる〈一次プロセス〉と〈二次プロセス〉との問題であった」(小林 1992:223)[10]といわれるが,リオタールはフロイトの夢の理論から,一次過程と二次過程という考え方に注目する。

 フロイトの『夢判断』(フロイト 1969)で一次過程と二次過程の考え方は次のように説明されている。心という装置には,広大な無意識の領域があり,夢は日中抑圧されている願望を充足させるものである(ibid.: 上210-228)。夢の作業には無意識を夢の中で意識化する動きと,そのように意識化された無意識を心の中にある理性的な検閲の目から逃れさせるために変造する動きがある(ibid.: 下325,336)。そして,無意識に抑圧されたたさまざまな願望や興奮を放出するこうした動きを〈一次過程〉と呼び,理性や意識によってそれらを抑圧する動きのことを〈二次過程〉と呼ぶのだ(ibid.: 下489-494)。

例えば思想,観念といった日中の論理的な思考は,「人間生活の歴史上で漸次形成され」るもので,二次過程の成果である(ibid.: 下497)。夢の中ではこうした論理的理性的な二次過程の動きが弱まり,これによって普段抑圧されている無意識がさまざまな形で意識に導きいれられているのだという。

リオタールの芸術論では,このフロイトの意識と無意識の図式が,機構と無―機構に読みかえられる。リオタールによれば二次過程とは,欲動や強度を分節し理性的に構成する過程である(Lyotard 1972: 65)。リオタールは二次過程を機構,シンタクス,レトリックなどさまざまに言い表し(ibid. ),学知の領域における既存のコンセンサスの規則群と同様のものと捉える。そして,この二次過程によって非理性的なものとして排除されるもの,欲動,無―機構なもの,捉えがたいものが,無意識にあたる。リオタールにとって芸術は,こうした無―機構なものを導きいれる場所,無―体制なものとしての欲動(Lyotard 1972: 64)を「《拘束》せずに《自由》にしておく」(Avron / Lyotard 1971: 30)場所,一次過程の動きが起こる場所なのだ(ibid.: 30)。

 

 

2.現代芸術へ

 リオタールは芸術に関して論じる際,こうしたフロイトの理論を援用しつつ,自身と同時代の作品や作家を中心に考察して行った[11]。「学問,文学,芸術上のアヴァンギャルドたちの探求は,この一世紀,それら文(phrases)相互間の規則の共約不可能性を暴くべく,進んでいる・・・・彼らは,共約の不可能性を常に保障するようなパラドックス群を強調しているので,ポストモダンであるのだ」(Lyotard 1984: 84-85)。リオタールのポストモダンが,あくまでも既存の枠組みを打ち破るような活動を指す言葉であり,特定の時代を指す用語でないことは常に心に留めておかねばならないが,それでもリオタールが殊に,19世紀末以降の芸術の諸動向にこうした規則違反を取り入れようとする積極的な動きの多くを観察していることは確かである[12]。

例えば西洋美術の動向についてリオタールは次のように言う。

 

そのとき以来〔引用者注:14世紀以来〕数世紀のあいだ,絵画は視覚的なものと社会的なものの組織化という形而上学的,政治的なプログラムの達成に寄与した。光学的幾何学,色価と色彩の新プラトン主義風の階層的世界観に感化された秩序付け,宗教的歴史的な「伝説の山場」を決定するための諸規則は,すべてのものを見るという運命,世界を単眼で捉えられるようわかりやすいもの(明晰かつ判明なもの)とする運命を,それ〔引用者注:美術〕に割り当て,新しい政治的共同体,都市,国家,国民,の同一性の形成に役立ったのである。(Lyotard 1988: 131-132)[13]

 

 リオタールは,遠近法に代表される絵画の画面構成の規則群,絵画の諸機構を,単一的で理性的なものへの嗜好と共謀するような規則群であり,西洋が保持してきた絶対的な権威の象徴として捉える。リオタールは,このような規則や機構をフロイトの理論における無意識を抑圧する第二次過程に重ね,19世紀以降盛んに行われるようになった遠近法の解体,絵画の諸規則への違反を,それまで抑圧されてきた無―機構を取り入れる動きとして具体的に評価し,何度も論じている。

リオタールにとって打破すべき仮想敵は,啓蒙主義に象徴される大きな物語によって正当化され,理性的,合理的,統一的であることを求め,そうでないものを規制する西洋近代,そしてそれを象徴する芸術の諸機構である[14]。そのため,ポストモダンが時代呼称ではないと言いつつリオタールは,美術に限らず,音楽,演劇,文学などでも,19世紀ごろまで守られてきた諸構成法を批判の対象として明確に設定し,20世紀以降の前衛芸術をそうした構成法への逸脱の動き,ポストモダンの良き実例として繰り返し論じる。

 

 

3.呈示し得ないものと逸脱

ところで,フロイトが無意識に属するものを呈示する場として夢を考えるとき,そこには一つの矛盾が起こる。つまり夢を無意識の顕在化と考える限り,それは顕在化され我々によって意識化されるわけだから,そもそも無意識というものがなくなってしまうのだ。このアポリアを逃れるためにフロイトは無意識について,夢のようなある条件下で一次過程の働きを通して第二次過程とは別の検閲の下,意識に入ってくることのできる無意識[第一の無意識]と,夢においてさえも意識化されない無意識[第二の無意識]の二種類があるという(フロイト 1969:下515)。この第二の無意識は,意識によって完全な形で捉えることができない何かとして考えられている(ibid.: 下511)。フロイトは,第一の無意識を顕在化するものである夢,あるいは,意識という抑圧装置が破壊され平素隠蔽されているべきものが強められて(あるいは弱められて)しまう病的状況を分析することで,心とういう装置の仕組みを垣間見ることができると考えていた。つまり,そうした作業を通して我々は,心には決して意識化されることのない無意識[第二の無意識]があるのだということを想像することができるのである。

無―機構なものを芸術というそれ自体機構であるものの内部に取り入れていくこと,呈示し得ないものを呈示するような芸術活動を考えるリオタールも[15],フロイト同様に,芸術は呈示しえぬものがあるということを呈示する場であると言う(Lyotard 1988)[16]。フロイトにとって夢の活動を論じることが重要だったように,悟性や理性を中心に考えられた西洋近代的な主体に拠らない新しい哲学を目指したリオタールにとって[17],芸術が示す機構の打破や逸脱の動きは,呈示し得ないもの,つまり理性では把握できないものがあることを想像させ,それについて論じるための重要な場であった。[18]

そして,我々は第1節の最後で,逸脱はやがて他の何かによって追い越されていくものであり,絶対的なものではないと言ったが,機構からの逸脱,呈示しえぬものの存在を呈示する場も移動する。リオタールはスタンダールの言葉に重ね,「古代人の強固な精神ではなく,柔軟さ,素早さ,変身の能力・・・・・スレンダーであること(La sveltesse),目覚めていること」(Lyotard 1984: 86)を理想としている[19]。理性主義や合理主義,あるいは,我々を取り囲む様々な新しいイデオロギーを打ち破り,呈示しえぬものの存在を呈示するポストモダンの芸術は,日々更新される。だからこそ我々は変化する逸脱行為に柔軟に対応しうる軽やかさを身に付けねばならない。

第2章 音楽への路

 

第1節 リオタールの音楽論

 

1.音楽という機構

 リオタールは「楽音は,関係付けられた雑音」(Lyotard 1972: 65)であり,「音楽と呼ばれるものは,音の一技巧art、音響についての能力」(Lyotard 1988: 179)[20]であるという。古くから音楽は,学知の一分野,理性的なものとして整備されてきた。古代ギリシア時代より,音楽は知的な創造の場と考えられ(今道 1971,国安 1982),ピュタゴラス学派に代表される音響に関する数学的思索や協和音の理論的研究が続けられていた。よく言われるように,建築の一部に位置づけられテクネーに分類されていたいわゆる美術は,ルネサンス期に至って漸く学問の一分野としての地位を獲得したわけだが,音楽はかなり古くから学問として探求され,中世には自由七科の一つに位置づけられていた(国安 1982:23-25,笠原 2001:38-39)。今日まで続く,協和音や音楽形式,あるいは楽音そのものに対する,理性的,構成的意識は,こうした古代からの伝統と直接つながっている。音価の体系――二分音符,四分音符の規則――,記譜法の改良,より好ましい発音のための楽器の洗練,和声法やソナタ形式といった個別の諸規則は,どれも音楽に用いる音を規定,拘束する古くからの理性的,合理的な枠組みの代表的存在である。

こうした形式的探求とは一見対立するかに見える音楽の情動表出面についての考え方にしても,音楽的要素と感情表現の結びつきに関する修辞的規則を定めたバロック期の情緒論が象徴しているように,それは文化によって定められた一形式に過ぎないとも言える[21]。19世紀当時の情動や情景を描く標題音楽,そうした音楽の感情性にばかり注目する音楽美学に反抗して発せられた「音楽の内容は響きつつ動く形式である」(ハンスリック 1960:76)というハンスリックの有名な言葉は,実は,感情表現の修辞法という形式的決まりごとを巧みに用いた音楽及びその解釈に従事する音楽学の言説をも含む,西洋音楽のほぼ全体に適用できる言葉といえるのかもしれない。

リオタールが言うように西洋の音楽とは,さまざまな規則――二次過程――によって音響的出来事から音楽としての音を抽出する,西洋の恣意的でホモロジックな体系,機構である(Lyotard 1972: 66)。

 

 

2.リオタールの音楽論

音楽という機構が理性信仰の大きな物語に依拠したものであると言うリオタールは,近代以降の音楽的実践が行ったこの機構からの逸脱に注目していく。そして彼はこれまでの音高や音価を中心とする音楽の理性的把握から排除されてきた,色合いや響きという測定しがたい何ものか(Lyotard 1988: 151-152),雑音に,そうした機構を打ち破る力があると言う。

 

 音響や色彩の連続体におけるひとつの音符,あるいはひとつの色,それはある音符やある色の自己の同定のための測定針に相当するものであるが,そのような非常に限られたある範囲に対して,響き(le timbre)あるいは色合い(la nuance)は一種の無限性を導入し,そうした自己同定による決定性の枠の只中に,倍音の偶然性を導入する。響きや色合いは,目盛りが振られた音階や和声的平均律による明晰な構成,明確な区分け作業の気力をそぎ,絶望させる。(ibid.: 152)[22]

 

リオタールによれば色合いや響きというのは,理性的な把握を超え出るもの,「ある精神に・・・・・ある喪失の支配力を行使する」(ibid.: 168)[23]もの,呈示しがたい何ものかの存在を呈示するものであり,それらに注目すること,あるいは魅了されることとは,合理的な精神の働きを停止させること,喪失させること,ひとつの衝撃を受けることなのである。リオタールは,今まで楽音から排除され素材として正面から扱われていなかった音の諸側面に関心を示すもの,機構の抑圧を打ち破り非―理性的なものを解放するような20世紀の音楽活動に注目し,論じて行く。

ところで,20世紀の音楽活動における機構の打破には実に多様なやり方が存在する。例えばセリー技法[24]による長・短調組織の解体はつとに有名である。だが,リオタールが目指していたのは,機構の打破を通して西洋的理性主義の解体や合理性追及のイデオロギーを批判することであったため,セリエリズムは機構の打破としては不完全なものと批判される。例えばアドルノとシェーンベルクについて論じた実験的な文章において[25],調性組織というそれまで音楽を統括していた音を組織立てる最も基本的な規則の打破という意味では,セリー技法は「調性へのリビドー的備給」(Lyotard 1994: 112)を為したと部分的に評価されながら,それが未だに理性的な諸音の構成に気を配るものである以上,「シェーンベルクのような意味で作曲を強調することは無駄なことである・・・・・この悪魔的活動は,なおも信仰〔引用者註:理性主義という信仰〕の中にとどまっている」(ibid.: 103)として,主に批判的に論じられている[26]。こうした点から20世紀音楽に見られる音楽の機構の打破に注目しながらも,リオタールの論述の立脚点や意図が,はっきりと西洋理性主義の批判にあることがわかるだろう。

リオタールが音楽において,合理主義から音を解放し非理性的な音の諸側面に光を当てるものとして本当に評価していたのは,平均律に従う楽音以外の音,排除された音,音楽以外の音とされていた音,つまり雑音を取り入れた作曲家たち――いわゆる実験音楽の担い手と,電子機材により音素材のあらゆる囲いを一気に広げた電子音楽の創始者たち,ミュージック・コンクレートの旗手たち,ベリオ[27],ヴァレーズ,シェフェール,そしてケージ――の活動であった(Avron / Lyotard 1971, Lyotard 1972, Lyotard 1988: 177-192[28], Lyotard 1994: 99-113[29])。彼らは非―楽音とされていた雑音を音楽に引き入れ,分節され得ない音を音楽に取り込むことで,それまで音楽活動のなかで問われることの無かった楽音の体系を問題化しており,合理化され得ず,分析困難な,叫びや打楽器の操音,「不―定形なもの」(Lyotard 1988: 124)[30]を引き入れることで,理性的に捉え難いものを提示しているという(Lyotard 1972, Lyotard 1988: 177-192[31])。リオタールにとって,彼らのそうした活動こそが19世紀までの音楽語法の規則を犯し,音楽を非合理的,非理性的なものに近づけ,響きや色合いを強調し理性的把握を超える要素を導きいれる,ポストモダンの魅力的な例だった[32]。

 

 

第2節 リオタールの限界

 

1.2つのポストモダンの間に

ところで,“19世紀までの音楽語法の規則を犯して音楽を非合理的,非理性的なものに近づけ,響きや色合いを強調し理性的把握を超えるような要素を導きいれる”ことは本当に,理性や合理性を打ち破るものといえるのだろうか。逸脱を説くポストモダンが逃走のイデオロギーにとらわれているのと同じように,音楽において理性的把握を脱し,非合理なものを取り入れることを欲する姿勢はやはりそれ自体,どこかイデオロギー的である。

篠原は「リオタールが哲学的にはポストモダンを語りながらも,美学的にはモダンを語る気味があった」(篠原 1992: 141)というが,「アヴァンギャルドの無限の実験」(ibid.: 139)のうちに可能性を見ていたリオタールの芸術論は,その態度が定着しアカデミズムに堕ちる前に更新されて行かねばならないものである。では,リオタールのポストモダン論が本来持っていた柔軟性を活かして彼の芸術論を更新し,理性的なものや合理的なものを排除する以外のやり方で,未だ問われていない前提を問う音楽活動,ポストモダンの音楽とはどのようなものが考えられるだろうか。

音楽の世界ではしばしば,調性的要素やメロディー,ハーモニーなど,リオタールが音楽における機構として批判してきた諸機構のある特異なやり方による回帰が,ポストモダンという言葉に結び付けられている(Pasler 2001,Kramer 2000)。これらは折衷主義とも呼ばれ,「ちょうど自由に使える材料のカタログをみてそこから気に入ったものを選ぶように」(庄野 1992:21),引用句に対して一切の改変をせず,引用された要素とそれ以外の要素との,あるいは引用された諸素材の間の時代やジャンルの差に一切の優劣をつけることなく(Kramer 2000: 9)引用を行うことを一つの特徴とする[33]。19世紀以降の近代的引用は,進歩や発展に対する信仰,理性の勝利への確信を根底に持ち,引用句に対する注釈や書き換えによって古い語法に対する自身の語法の優位を誇示してきた。だが折衷主義―ポストモダンの引用ははっきりとこうした近代の意識に対する不信を表明し,様々なスタイルを引用することで,ある音楽を理性的・合理的なものと判断する主体,あるいは理性的ではない音楽を批判する近代的なあり方に対して,そもそも理性的,合理的なものが何であるかを決定するのは誰なのか,という問いを投げかける。

篠原はその著書の中でリオタールがジェンクス流の,技法的側面に注目し年代史的に整理された折衷主義としてのポストモダンの考え方には対立していたと言う(篠原 1992:139-140)。確かに合理的把握を逃れるものや,理性の枠組みを打ち破るアヴァンギャルドの積極的活動を評価していたリオタールにとって,折衷主義的作品は「市場の,従って経済のゲームの要求に服しているにすぎず」(ibid. )評価し難いものであっただろう。しかし折衷主義的態度を示すポストモダン論者たちの意見を注意深く見ていくと,そこには近代の物語への不信感を始めとして,首尾一貫したものや統一性への反発,合理性を目指すことがもはや音楽構造の主導的物語ではないとする意識(Kramer 2000: 8),矛盾や対立を称揚する態度など,リオタールと共通する部分も数多く見出だせる。むしろ,19世紀までの構成法を機構として定め批判し,そこから逸脱する要素を非合理なものであると称揚するリオタールよりも,旧来の線的歴史観の終焉による過去との共存(ibid.: 12),あらゆる場所からあらゆる種類のやり取りがなされる今日の状況,ラジオやオーディオ機器の登場によって生まれた新たな聴取の態度の方により強い関心を向けて,判断そのものを疑う折衷主義―ポストモダンの態度の方が積極的思索を求めるより今日的な態度ではないだろうか。

庄野は言う。「聴衆[34]は音楽を環境的に聞くことを始めたといってよい。あるいは,大作曲家に対する思い入れもなく,作品の全体性に無頓着に,摘み食い的に音楽と付き合って『軽やかな聴取』を行う」(庄野 1992:21)。折衷主義―ポストモダンはこのような音楽に対する飽食性から,物事を批判するのではなく,理性的なものも非理性的なものも含めたあらゆるものに等間隔の距離を保持しつつ,そのときその場で気に入ったものを好きなように使うという態度に向かう。彼らはたびたび無責任な相対主義者として非難されるが,今日の音楽を考える上で,例えば調性的要素や楽音の機構の打破を非合理なものであるとして単純に評価するのは難しく,むしろ,あらゆる素材との関わり方やその扱い方の方に注目しながら,そうした手法の裏に隠された意識や態度に,近代的な思考法との違いを観察しようとする折衷主義―ポストモダンの理論には,注目すべき点が多いだろう。

折衷主義―ポストモダンの仮想敵は理性信仰ではなく,それをも含めたあらゆる価値判断,あらゆるイデオロギーの方である。彼らは,リオタールの論の中で批判されている“理性的なもの”も,なぜそれが理性的であると判断できるのか,あるいは,理性や合理性が欠陥を持つことが確かだとして,それを排除することが本当に正しいのか[35],と問う。つまり19世紀までの構成法を機構と定めて逸脱を説くリオタールを,折衷主義―ポストモダンはメタな立場からさらに批判し,追い抜いていくのだ。

折衷主義―ポストモダンは,たとえそれが相対主義の生産性に欠いた議論しか展開できないとしても,具体的な作品を論じる際にリオタールが保持した議論の枠組みを問い直し,そこに新たな柔軟性を加えるヒントを与えてくれる。

芸術の領域でリオタールがポストモダン的な逸脱の活動として当時注目していたアヴァンギャルドの活動は決して絶対的なものではない。実際,芸術実践の場では折衷主義が示すような,理性―非理性という思考図式を超え,物事に対する新しい態度を示すような作品も生み出されており,21世紀の我々にとって,リオタールが論じた同時代の芸術活動はもはや過去のものになっているものも少なくない。20世紀のリオタールの論述が保持していた限界を越えて,新たな論述の可能性を引き出すためには,リオタール自身がその論述において保持していた問題軸の設定を見直す必要がある。我々はリオタールの芸術論が持っている限界――何が批判すべき機構であり,逃れるべきイデオロギーであるかに関する思考軸の設定――についてもう一度考え,より軽やかに,諸前提を問う作業を経てこそ,常に我々の感受性を更新して行くような恒常的な動きとしての彼のポストモダン論の有効性を十全に引き出すことができるのだ。[36]

 

 

第3章 実例

 

 こうして,近代合理主義の批判と枠組みの打破を目指すリオタールのポストモダン論,機構の打破と非合理なものの取り入れを称揚する彼の芸術論,それらが持つ閉塞感などが明らかとなった。たとえそれがやがては色褪せるモダンの先行状態だったとしても,リオタールのポストモダン論は既存のイデオロギーを打ち破るための戦略としては今なお有効であり,問題軸そのものを更新していくことで,新たな展開を図る可能性を持っている。機構と無―機構なものを図式化して固定してしまわずに,何が機構であるか,あるいは何が逸脱として機能しうるものかを再考し,リオタールの論述の諸前提を問い直すことで,今日,単一のイデオロギーに回収されずに芸術作品を論じる新たな方法が拓けるのではないか。ここでは具体的に3人の作家を取り上げ,彼らの活動に関して美学的に論じる[37]。この章はリオタールの論に柔軟さや軽やかさを付加して彼が保持していた前提の幾つかを更新し,リオタールの論述の今日的可能性を試す場となるであろう。

 

 

第1節 ジョン・ケージ[38]

 

1.音楽の果て

リオタールによればケージは,「聴かれるべき音,それを聴く耳をもつものの存在を規定する,音楽的な選択要素を消去,溶解」(Lyotard 1972: 75)した作曲家の一人である。「音をコントロールしたいという欲望をあきらめ,音楽について考えず,音を音そのものにしておく手段を見つけだす」(Cage 1966: 10)ように説くケージの姿勢は,音を音楽に構成するあらゆる機構を排除し,音響を構成する理性的で西洋的な主体の意識を放棄するというリオタールの理想に即した活動であった。

ところで,リオタールはケージの作品について論じる際に聴取や演奏の側の問題をほとんど考えていない。例えばリオタールは,機構を用いて音を音楽にする場所として,現象学的な身体の概念に言及し,ケージがこの現象学的身体を解体したという。リオタールは現象学で考えられている身体を,「複数の音を音楽に翻訳する領域,関係付けられていないもの(無意識のもの)が結び合い,雑音が響きになる場所」(Lyotard 1972: 65)と説明しているが,もし聴取や演奏の領域にこの考え方を当てはめて考えていたなら,ケージの諸作品は聴取者や演奏者の身体,その総合の動きを積極的に阻止するものとは言えない。

斬新な記譜法を用い,音が偶然によって配置され,統一的理念や理論が存在しないようなケージの不確定性の作品であっても,演奏者にはさまざまな指示がなされ,行為が規定される(木下 1999:35-36)。古くからの音楽の伝統的なあり方同様,演奏のために楽譜を理性的に統合し解釈することが要求されている。また,作品の音響結果が聴取者にとって構造的に捉えがたい曖昧なものであるという状況は,実は厳格なセリー技法によって作られた作品でも起き,こうした場合,聴取者は聴取過程で音の組織化,つまり曖昧な諸音響を自由にグルーピングして音を把握しようとする(近藤 2006:62-67)。合理的に組み立てられたものが曖昧なものとして聴取されることもあれば,作者が音を合理的に操作していないにもかかわらず音程構造が調性的に聴き取られたり,音楽構造が山場を形作っているように感じられたりすることもあり得る。ケージの作品では,こうした聴取の統合の動きを積極的に解体するための仕掛けが用意されているわけではなく,聴取者の,音を統合して把握しようとする欲求は特別に妨害されるわけではない[39]。

では,リオタールが言う作曲家ケージが成し遂げた音の解放,機構の打破,現象学的身体の解体とは一体どのようなものだったのだろう。

 

ケージが「沈黙というものはない」というとき,彼は「どのような大文字の他者も音に対する支配権を保持しておらず,統一や作曲の原理としての神というものも,シニフィアンというものもない」といっているのだ。・・・・・それはあらゆる雑音,つまり身体の雑音,社会的《身体》がいまだかつて聴いたことのなかった雑音を,音として打ち立てることである。(Lyotard 1972: 75-76)

 

 このようにリオタールはケージの沈黙に関する思索と創作活動に特に注目し,それが作曲家による音の支配や作曲原理などを放棄することで理性的な身体によって雑音として排除されていた音を解放し,音と雑音の枠組みそのものを打ち破るものとして注目している。

例えばケージの音と沈黙に関する思索から生まれた作品の中でも,演奏家が時間一杯一音も発することなく座り続けるという50年代に発表された《4′33″》は有名である。この作品を作る以前,ケージは無響室で自らの肉体が立てる音を聞くという経験を通して全くの無音状態というのは存在しないということを発見した。そのことによってケージは沈黙とは,耳が捉えるさまざまな音を人間が何らかの機構に従って選別することで生まれるものにすぎず,全くの無音状態としての沈黙というものは存在しないのだということに気がついたという(Cage 1966: 51)。《4′33″》でケージは作曲家が積極的に楽音として聴くべき音響を選んで組立てることを放棄し,これまで無音として聴くべきものの体系から排除されていた沈黙を,作品中唯一の聴くべきものとして設定した。確かに,ケージはこの作品で暗黙のうちに了解されていた音に関する諸前提――音楽は積極的に発せられ,構成された音を聴くものという前提――を打ち破ったといえるだろう。

もちろん《4′33″》は極端な例であり,彼の他の多くの作品では楽器や声,電子音などさまざまなものが積極的に発音され,作者であるケージが音を何らかの形で選んでいる。だがそうした作品においてもケージは音を音楽に構成せずに音を音そのものにする方法を探究している。彼は音を音そのものにする方法として作曲家が合理的に音響を規定し選別することの廃止を考えた。

 

 ケージが主張することは,「音楽」を支配してきた,いまだに支配しているイデアリズムをすべて拒否することである。それは,古典主義から始まって,ロマン主義,表現主義,印象主義を通って,セリアリズムにまで至るような,要するにそれによれば,「音楽は何物かを表現しなければならない」とされるような思想のことである。(椎名 2003:119)

 

 彼は,作者の理念や手法に音を従わせ,機構によって音を濾過する音楽のあり方そのものを解体する。ケージは言う。「言われている何かを理解しようとせず,というのは,何かが言われているというなら,音は言葉の形を与えられてしまうから。ただ,音の活動そのものに注意を向けるのだ」(Cage 1966: 10)。ケージはそれまでの作曲家たちがしてきたように,「書かれたもの,決まりごとの優位性」(Lyotard 1972: 74)を認めて理論的に音を操作するという態度を退ける新しい作曲方法を探っていた。

ピアノのための《易の音楽 Music of Changes》,ラジオのための《心象風景第4番 Imaginary landscape Ⅳ》などで用いられた,中国の易経に基づき行われる占いによって音を決める手法は,音に対する作曲家の理性的で合理的な操作や支配をそうした偶然的な決定に頼ることで打ち破ろうとしたものである。紙の上に見出される紙魚や傷を音符に見立てて利用する手法や,星座を五線紙に写し取る手法はこうした偶然的な決定をより簡単に得るために考えられた。あるいは《ヴァリエーションズ第3番 Variations Ⅲ》などの,さまざまな線や点が描かれた複数の透明なシートを演奏者に自由に重ねさせて解釈させる手法では,演奏すべき音を決める役はシートを使って自分の演奏楽譜を作る各演奏者に与えられている。作曲者はシートに線や点を書き入れていくつかの注意書きをするだけで,作品の音響について固定したイメージを打ち立てることは一切しない。

 

 

2.問われたものと問われなかったもの

音に対する作曲家の合理的操作がセリー主義や調性音楽における音程や音価の細かな規定と同義であるならば,こうしたケージの作品は確かに非合理的で,作曲者の操作を徹底して排除したものであろう。当時のケージの意図は音を理性的に組み立てることや,ある音を聴くべき音として特権化して考えるような西洋近代の音楽のあり方を打ち破ることにあり,リオタールの考察も基本的にそうした近代的な合理性信仰に基づく音楽作法や音楽観を一つの軸にして展開される。だが,特にそうしたリオタールの合理性批判は逆に,新たなイデオロギーにとらわれた状態という不十分な態度であることは前に指摘した[40]。現行のイデオロギーを暴き批判するものとしてリオタールの論述が持っている有効性や,彼が本来求めていた柔軟さや軽やかさを生かすには,今日,批判すべき対象の設定をもう一度見直し,考察の軸にもう少し広がりを持たせる必要があるのではないだろうか。

リオタール自身,「今日の諸芸術が,もしまだ《諸芸術》といえるのなら,それはまだ,そのように名付けられた領域にそれらが登録されているからだ」(Lyotard 1988: 188)と述べ,あらゆる機構から逃れて枠組みのすべてを解体するということがそもそも不可能だということについて考えている。逸脱を示すものというのはどのような形であれ必ず既存の枠組みや前提の保持が指摘できるのである。もし,ある作品が既存の音楽作品の特徴と何一つ類似するものを持たなかったとしたら,そもそもそれは音楽作品として考えられることはなく,音楽作品の既存の枠組みと比較されることもない。機構からの逸脱や打破とは,ある作品がいまだ残している作品としての特徴と解体してしまった特徴との葛藤や摩擦や齟齬のことである。そうであれば,リオタールがシェーンベルクを理性批判として不十分なものと批判したように,リオタールが逸脱の好例として取り上げていたケージについても我々はそこで保持されている既存の枠組みを指摘することもできる。

例えば60年代末以降の一連の《ミュージサーカス Musicircus》と呼ばれるイヴェントはケージの作品の中でも特に作曲者による操作が少ないものの一つだが,こうした作品にも作曲家による規定が存在する。

この《ミュージサーカス》はケージの作品群の中でも特に作者による操作の少ないものの一つである。《ミュージサーカス》では楽譜に当たるようなものが一切用意されていない。この作品でケージは,何らかの音響的出来事が起こる,あるいは起こらない可能性について口頭で述べるだけなのだ。《ミュージサーカス》に実際に参加した演奏者から,当時の様子をきいたシャルルはケージの役割について次のように伝える。

 

 ケージはこの《ミュージサーカス》において,ソリスト群もしくは音楽的アンサンブル群が,適当な枠組みの中で,またはそれを外れて,集まり,音のようなものを作り出す,または作り出さないことができる,と規定するだけにとどまっている。(Charles 1978: 152)

 

ケージはこうした口頭指示以外のあらゆること,例えば「演奏者たちが位置する台の割り当てを・・・・・それは舞台監督を引き受けることであるとして,拒む」(Charles: 153)という。そのため演奏家たち,観客たちは,作曲者による一切の指示を受けることなく会場の思い思いの場所で自分たちの音を奏で,あるいは会場を歩き回りながら他の人の演奏を聴く。それぞれの演奏は個別に奏でられるため,演奏者たちは各個人の音楽,つまり「《彼らの》音楽を作り出して慣例どおりの満足を得られる」(ibid.: 154)一方,彼らが発する音響全体は,指揮者のような特権的な視点によって統一体として同期させられることがないために,パラロジックで,全体を合理的に把握することができない何かになるという。もちろん作曲家は結果としての音響を事前に把握することは不可能である。《ミュージサーカス》において「作曲家はその差異を失い,消え,ぼやけ,観衆のなかに溶け込んで」(ibid.: 181)しまうのだ。

このように極めて作者の規定が少なく,あらゆる既存の音楽の枠組みを打ち破っているかに見える《ミュージサーカス》だが,ここにも未だ問われていない枠組みがある。それが音楽作品のもつ持続という枠組みである。

この持続[41],つまり長さの尺度は,初期の作品では構造を規定する極めて厳密な一手法として用いられており(Cage 1966: 18-19),例えばプリペアド・ピアノのための《ソナタとインターリュード Sonatas and Interludes》では,16あるソナタと4つのインターリュードがシンメトリカルに配置され,そのソナタやインターリュードそれぞれの内部の構造は,例えば第4のソナタでは「2分の2拍子の小節が100小節あり,さらにそれぞれ10小節1単位で10の部分に分けられている。それらのユニットは3,3,2,2の比率でつながれており・・・・・さらにそれぞれのユニットの内部も同じ比率で下位区分がなされる」(Cage 1966: 19)という一種の入れ子構造になっている。

こうした持続の厳密な規定というのは,音への操作を高める以上にむしろ,その内部で起こる音響上の出来事に自由を与えるものであった。持続の構造において「構造化された各々の部分は,形式としては,単に時間的な『枠』であり,未だ何もあらわれていない空っぽの『器』に他ならない」(枡矢 2000:28)。ケージは枠を利用することで作品の中に沈黙からノイズまで,多様な音響を置くことができるようになったのだ(Cage 1966: 18-19,枡矢 2000:24)。例えば《易の音楽》でケージは,そのように明確に規定された枠組みの中に占いによって偶然に決められた音を配置していった。《4′33″》も,時間の枠とその中に導入される素材の自由という面では,こうした持続の構造の特徴を引き継いでいると言える。

そして《ミュージサーカス》においても,ケージはこのイヴェントが「一定時間続くということを言う」(ibid.: 177)ことで,作品を “はじまり”と“終わり”を持つある持続の中に設定している。ケージは世界のあらゆる音現象の中からその一瞬を作品として選び取っている。《ミュージサーカス》がどれほど既存の音楽作品とは似ても似つかないようなものであっても,作曲家によって作品として名付けられ日常から音楽作品としてその時間が区別される点は,これまでの音楽作品の創造と同じ部分を持っているのだ。

 もちろん,ケージ自身の当時の関心は音楽という枠組みからの逸脱にあったわけではなく,あくまでも音と作者の操作との関係を変えることにあっただろう。しかし,そうしたケージを機構の打破,逸脱の達成者と考えたリオタールの論述を再考すると,そこにはさまざまな不備があるとわかる。逸脱行為がやがて逸脱ではなくなり,乗り越えられるものであるなら,逸脱行為を論じる論述もまた,乗り越えられ,更新されねばならないだろう。状況の変化とともに枠組みは移り変わり,摩擦が起こる場所も移動する。ならば,我々は合理主義の軸のみにとらわれず,変化に柔軟に応じながら,逸脱とは何なのか,そして今日,それはどこに見出せ,葛藤や摩擦はどのように生み出されうるのか,豊かな音楽実践を参照しながら,改めて考察していかねばならないだろう。

 

 

第2節 リュック・フェラーリ

 

1.イメージの奪還

リオタールはミュージック・コンクレートを,それまでの音楽の機構の一部を打ち破り,素材を解放するものとして評価していた[42]。リオタールにとって音階や音高といった音楽の音響面の組織化や分節の作業は,西洋合理主義の理性的把握の要求に従ったものであり,二次過程に等しいとされる。そのため,録音機材を駆使して,それまでの楽音の体系から締め出されていた測定不可能な響きや色合い,雑音を取り入れたミュージック・コンクレートは,ケージと同様に合理主義を乗り越える魅力的な例であった。近代的理性主義を批判するリオタールが,当時の「フランスの前衛音楽をリードする立場にあったP. ブーレーズ」(庄野 1995:59)の合理的な構造と緻密な書法を重視する音楽の方向と,ミュージック・コンクレートとの対立の中で,「作曲構成上の素材(material)としてコントロール」(ibid. )しがたい,理性的把握を逃れる物質(matiere)としての音響素材を取り扱ったミュージック・コンクレートの方につくことは当然の流れでもあっただろう。ところで,ミュージック・コンクレートは本当にそれまで楽音として考えられず排除されていた音を音楽に取り入れていったといえるのだろうか。

確かに,ミュージック・コンクレートはそれまでの12平均律によって規定される楽音の体系を打ち破った。だが,彼らがテクノロジーによって音楽に持ち込むものは,「産出的プロセスとは切り離された響きの現前,他の響きとの差異によってのみ意味をもつ響き」(庄野 1995:63)である。多くのミュージック・コンクレートの作品で用いられる日常音は,音を発するもととなった具体的な事物から分離され,「音源が隠されている」(ibid.: 57)。そこでは,ドアの開閉音は,ドアやその開け閉めという行為が喚起するイメージや筋書きにそれらの響きが結びつくことを敬遠され,音楽的構成の中で,ひとつの興味深い音響現象として捉えられ理解されることが望まれている。ミュージック・コンクレートにおいてその「『音楽的』な意味は,それらの響きの時間的な展開なのであり,それを聴き取ること,・・・・・響きの形式的な特性へと,我々の関心を方向付ける」(ibid.: 58)ことにある。つまりミュージック・コンクレートでは,楽音の体系に則った理性的で徹底的な音操作は排されているが,新たに,音の出自やイメージといった不純なものを排除した響きそのものを切り出すこと,そして音をそのように聴く確固とした聴取の態度が主張されている。

「ミュージック・コンクレートにおいては,録音される限りで,あらゆる音響が音楽化可能である」(ibid.: 58)。それは,あらゆる音を録音機材によって日常から切り離し,楽音にしてしまうこと,さまざまな音を音楽の機構に嵌めこみ従わせてしまうこと,音楽という機構を打ち破る以上に音響に対する機構の支配を徹底することではないだろうか。リオタール自身,音とテクノロジーの関係から素材の解放について論じた文章のなかで,アドルノの言葉を踏まえながら次のように言う。「音楽の素材を解放する欲求や権利は・・・・・その素材を合理的に測定する能力の増大に比例して実現されるのか?・・・・・こういえるだろう,音が解放されうるから,テクノロジーがそれを制御できる,あるいはその逆である」(Lyotard 1988: 178-179)。テクノロジーが音響を制御できるからこそ,音は解放されうるのだ。

 

戦後前衛は,意味性や物語性を極力排除しようとする点では様式によらず一致している。総音列技法はそのためのシステムである。偶然性の音楽も,一見いかなる演奏も許すかに見える図形楽譜でも,一度読み方を決めればセリー音楽以上に「解釈」の余地はなく,即興とは対極にある。ケルン派の電子音楽はもちろん,GRM[43]のミュージック・コンクレートも,具体音から意味性を剥奪して抽象的な素材として用いた。(野々村 2002:2)

 

セリエリズムとの対比で考えれば,音素材の面ではたしかにミュージック・コンクレートは理性的枠組みを壊し,体系を揺るがす面があると認められるかもしれないが,リオタールが求めていた「公認の判定の基準を問い」(Lyotard 1984.: 15)既存の枠組みを揺るがす活動としては,特にシェフェールが示す音楽素材としての音響に対するある種の教条的な態度はいまだ束縛の多いものであろう。そこでは未だ,音楽の素材として用いられる音響に対して純粋性が求められ,音が喚起する日常的な意味やイメージといったさまざまな側面が排除されている。

そしてこうしたミュージック・コンクレートの楽音の体系から漏れ出たものを救い出した人物こそ,50年代末からシェフェールらとともにミュージック・コンクレートのグループで活動していたリュック・フェラーリであった。リオタールは,自らと同世代で,ケージやヴァレーズ,シェフェール,クセナキス,カーゲルといった作曲家たちとも関わりのあったリュック・フェラーリについて一度も論じたことはない。しかし,シェフェールに「支離滅裂で,形式がない,単なる雑音」(Caux 2002: 36-37)と酷評されたフェラーリの音楽は,枠組みの解体,パラロジー,軽やかさを説くリオタールに最も近い立場をとっているように思われる。

フェラーリは60年代初頭,「逸話的音楽 Musique anecdotique」(ibid.: 8)という独自の音楽形態を考え出した。「逸話的音楽」という言葉はフェラーリ自身の命名だが,ここでは細々とした日常的イメージに結びつく音,ミュージック・コンクレートの立場からすると不純な音が,そのイメージごと抜き出され作品に取り入れられている。こうして彼は音楽にそれまで排除されていた「社会,内面,あるいは感情的な言葉を取り入れ」(ibid.: 39)音楽における「抽象の諸輪郭を壊す」(ibid.: 148)ことを試みた。フェラーリの「逸話的音楽」は,ヌーヴォー・ロマンの日常性の描写やヌーヴェル・ヴァーグのカメラ万年筆といった手法に近いとも指摘される(ibid.: 10)。彼は,シェフェールらの音響作品に見られるような誰もが共通して理解できる構造や明快な物語の呈示を目指さず,曖昧なイメージを次々に喚起して単一の理解や物語の呈示を避ける。

例えばフェラーリが1963~64年にかけて作った《異型接合体 Heterozygote》[44]は,逸話的音楽の最初の重要な作品で,シェフェールに酷評されたまさにその曲である。彼は当時のミュージック・コンクレートで一般的だった意味性を排除した音響の扱いに対して,明確な反抗の意識があったわけではないというが,「抽象的な音と,すぐわかる音,逸話的な音を並べることがとても美しいと思」(ibid.: 37)い,それらをひとつの作品の中に詰め込んだことで,結局この作品の後,それまでともに活動していたミュージック・コンクレートのグループから離れ,独自の道へ進むこととなった。25分ほどのこのステレオ・テープのための作品では,加工された抽象的音響とともに,さまざまな場所で録音された日常の物音,人々の会話,そして楽器の音など,それらのコンテクストを引っ張り込むようなあからさまな形で用いられている。《異型接合体》では,人々の話し声や水の流れる音など「旅先で録音したさまざまな素材が,意味性を保ったまま接合され」(野々村 2002:2),さらにそれらは抽象的な加工音とも並置されている。この作品には,こうした混乱状態を束ねる明快な物語は存在しない。

あるいは60年代末に作られ,彼の代表作のひとつともされている《ほとんど何もないあるいは海岸の夜明け Presque rien ou Le lever du jour au bord de la mer》は,それまでのミュージック・コンクレートで聴かれたような音響加工や音楽的な操作そのものも影を潜め,旅先で録音された漁港の朝の情景が約20分間に短縮されるだけの作品である。川の水音,モーターボートのエンジン音,朝の活動を始める人々の話し声,家畜の鳴き声といった川下りで聴かれる音がそのまま切り出され,あたかも記録映像のような音響作品になっているのだ。このようにある場面の音をまるごと切り取るフェラーリのやり方は,大変興味深いものである。

だが,もし彼の作品が非-楽音としてのそうした環境音を切り出すというだけならば,むしろ無為の中で沈黙へと耳を開くケージ,あるいはサウンドスケープを提唱し,場所に結びついた音を探求するマリー=シェーファーなど,類似の例は数多く,場合によっては彼らのほうがそうした意図をより徹底しているといえないだろうか。

この《ほとんど何もないあるいは海岸の夜明け》が特に興味深いのは,彼の作品があたかも音に対して無作為であるように見せながら,確かにそこに巧妙な操作が隠されているということを聴き手にほのめかす点,そしてそれによって作為と無作為の境界を曖昧化する点であろう。例えばこの作品では,あたかも海岸の夜明けの実地録音が加工されることなく用いられているように見える。だが注意深く耳を澄ましていると,ある時点でそうしたすべての音響が喚起する現実感が,周到な操作のもとに作られた偽りのものであるとわかる。ステレオ録音上の操作でそれぞれの音響がさまざまな方向から聴こえるように人為的に配置されていることによってもそれは明らかだが(野々村 2002:2),他にも,3部分に分けられたこの作品の第2部分で聴かれるセミの鳴き声は,人々の話し声など他の音響と比べて前面に均一に貼り付けられたその響きがあまりにも作為的で,違和感を覚えずにはいられない。それまで朝の情景の実地録音を無作為に呈示していると思われていたものが,この奇妙な逸脱によって乱されている。個々の音の多くは確かに実地で録音されている。しかし,それらを編集し配置構成している作者の存在が,こうした箇所でほのめかされ,作為と無作為との境界が曖昧化されるのだ。

フェラーリはこの作品で,作者というものが完全に無作為に作品を作ることができない事実を呈示している。ともすれば我々はわざとらしい演出を退け,淡々とした出来事を描写しているものを無作為なものと考えがちである。だが,作品の中で聴かれる音というのは,それがどれほど平凡で無作為に聴こえたとしても,すべてある操作を経て呈示されるものである。雑音,日常音,イメージに結びつく不純な音響を使って記録映像のような作品を作ったとしても,それらはすべて現実感を喚起するように巧みに計算され,配置された作為的なものである。フェラーリは,このように,作品として音を選ぶことの作為性を音響の巧みな操作によって示しているのだ。

 

 

2.矛盾の探求

 フェラーリの逸話的音楽に見られる現実的なものと非現実的なもの,作為的なものと無作為的なもの境界の曖昧化や混乱は,彼の「矛盾の探求」(Caux 2002: 88)というテーマにつながる。我々が諸要素の間に矛盾を感じるためにはそれら諸要素が対立しあうものだという前もった了解が必要である。そこでフェラーリは,合理性批判のために合理的なものの排除に向かうリオタールとは違い,旧来の機構や既存の枠組みを作品の中に大胆に取り入れていく。彼は既存の判断の枠組みにおいて対立するもの同士であることが明確な素材や概念を用意して混ぜ合わせる。

例えば彼の初期のセリー書法による作品,《アンチソナタ,ピアノのための Antisonate pour piano》では,厳格なセリエリズムでは退けられていた反復やオクターヴの使用,調性をほのめかすような要素の使用,あるいは暴力性や激しさといった感情性の要素などが導入され,セリーという単一的なあり方から逃れそれとは相容れないような異なる要素を導きいれようとする彼の態度を見ることができる(ibid.: 27)。あるいは《ヴィサージュⅡ Visage Ⅱ》では,「構成は完全にセリー的だが,官能性やエロティシズム,性的なものを導入」(ibid.: 88-89)し,「相容れない二つのアイディア」(ibid. )が混ぜ合わされている。《偶然と決意の戯れ Jeu de hazard et de la determination》は,「どのように決定が偶然を生むか,あるいはその逆について」(ibid.: 93)の問題をめぐる作品である。この作品では決定と偶然という一見矛盾する状態の混ぜ合わせが試みられており,フェラーリは複数の素材となる要素を偶然や曖昧さを多分に残すやり方で作成した後,くじ引きという偶然的でありながらきわめて明確な決定によってそれらの配置を決定した(ibid.: 94-96)。

 フェラーリはこのように対立すると思われていたものをあえて選び作品の中でそれらを結び付けるが,用いられる個々の語法や概念の間に優劣を認めることはない。彼はヒエラルキーを生み出すことなく各要素に等距離を保つことで,明確な判断,一元的な捉え方では語ることのできない曖昧な状態を作る。フェラーリは言う。

 

  私は,さまざまな世界が摩擦しあい,いくつもの時代が絡み合うこと,我々が決して決定されつくしたある時代に属しているのではないということ,我々がいくつもの重なり合った歴史(histoir)を生きているということに興味がある。こうしたことのために,さまざまなスタイルや記号を混ぜ合わせることができ,色々なことを語れるのである。(ibid.: 123)

 

単一的ではないあり方や矛盾の探求,中間的なものや不均質なものに向かうフェラーリの姿勢は,全体を組織し支配する大きな物語の失墜を受け入れ,一元的には語りえない非―論理的でパラロジックなあり方を称揚するリオタールのポストモダン論における理想(Lyotard 1979: 104-107)に非常に近い。さらに,理性主義的あるいは教条主義的な考え方がこれまで示してきた他に対する優越性や絶対性を認めないという立場を明確にした上で,一素材,一手段としてそれらを自作に組み込んでしまうフェラーリのやり方は,合理性批判のために理性的なもの,合理的なものを排除しようとしたリオタールよりも軽やかに,イデオロギー批判,ある機構からの逸脱を体現している。

 

 

3.自由,軽やかさ,そして戯れ

フェラーリは常に,「非合理的で,あらゆる束縛から解放されていること」(Caux 2002: 155)に関心をもち続け,自身の音楽で常にそれを実践していた。彼の音楽の在り様や態度を作曲家の近藤譲は,中心主義でも純粋な相対主義でもないあり方,ヨーロッパに根を置きながらもそれを中心とはせずに客観的に見つめるあり方として,今日的な興味深い姿勢と評価している(近藤/大里 2002:15)。どのような楽派にもとらわれることなく,さまざまな作品を生み,次々に新しい形態に挑戦していった彼は,まさにリオタールが理想とした「柔軟さ,素早さ,変身の能力・・・・・スレンダーであること(La sveltesse),目覚めていること」(Lyotard 1984: 86)を体現している。彼は言う。

 

  ひとたびスタイル,書法の習慣,美学などが標識化されると,それはアカデミズムに達し,権威として凝り固まる。アカデミズムを私は常に嫌っていた。・・・・・私は自分自身で考え出すように絶えず自分を動かすコンセプトに自分を向き合わせることが好きだ。(Caux 2002: 168)

 

 こうしてフェラーリは生涯にわたって,何かひとつのあり方に固まることを拒み,矛盾や曖昧さの喚起を探求し続け,戯れ,不真面目であることに真面目に取り組んだ。フェラーリは既存の権力や機構に属することを拒み,「すでに決められたどんな道筋も打ち立てることを認めず,システムや芸術上の教義といったどんなやり方も拒んだ」(ibid.: 9)。

フェラーリは権力主義やアカデミズムに対する明確な批判意識から,既存の枠組みの中で活動するほかの作曲家にとっては受け入れがたく,不遜であると思われるような作品をいくつも発表している。具象音の意味性やイメージをそのまま作品に取り込んだことでシェフェールのようなミュージック・コンクレートの作曲家に反感を持たれたことは以前述べたが[45],他にも,例えばテープ作品《ストラトーヴェン Strathoven》ではベートーヴェンとストラヴィンスキーという決して出会うことのなかった二人の作曲家の作品が,周到に笑いを誘うような箇所を狙って継ぎ接ぎされる。この作品には異なるものを並置する手法の一例も見て取れるが,それ以上に,アカデミックな真面目さを退けようとする彼の意識が強く感じられる。

彼の作品に頻繁に登場する露骨なエロティシズムも,純粋さを目指す絶対音楽的な考え方から逃れ出るための一つの手段である。「調性が性交の体位を表すのに,完全に抽象的」(ibid.: 59)に作られた《セクソリダード Sexolidad》では,こうした絶対音楽的な考え方とエロティックな戯れが大胆な形で混ぜ合わされている。あるいは「公演不可」なインスタレーションである《ポルノロゴス2 Pornologos 2》(椎名 2002a:4)など,フェラーリの作品は時に,音楽にそれまで排除されていた直接的な官能性,あるいは俗悪な性のイメージを露骨な形で導入するものである。こうした作品は,それまでの音楽や文化の高尚なイメージに,「現代の卑俗なポルノを対立させ・・・・・『こすり合わせ』,摩擦を起こさせることで,まさに,その両者が異化され,どちらもが奇妙なものとして立ち現れてくる」(大里 2003:3-4)ことを狙っている。作品のタイトルも,露骨にエロティックなものや私的で判断しにくいものが多い。彼が取り入れる具象的な音響も,私的な会話や,ときにエロティックなものなどが選ばれている。これは,理性的把握とそれに基づくある一つの正しく合理的な理解を人々に要求してきた西洋音楽の嗜好に対する批判意識の表れでもある。

これまで見てきたようにフェラーリは枠組みからの逸脱やイデオロギーへの批判を生涯続けた。そこにはリオタールが称揚していたあり方と重なる部分も多く,逸脱や矛盾を生み出す数々の独創的手法は既存の枠組みやイデオロギーを問う今日的な例として興味深いものだろう。だが,その活動が徹底したものであっただけに彼の作品はシステマティックなものや明確なものを求める西洋音楽の主流から評価されがたいものとなってしまったようだ。ブーレーズらセリエリズムの作曲家からはもちろんのこと,シェフェールのようなミュージック・コンクレートで活躍していた作曲家たちからも,フェラーリは排除され,今も“現代音楽”の世界でフェラーリが注目されることは少ない。むしろ彼はこうした“現代音楽”の関係者からではなく,即興パフォーマーや音響派などと呼ばれる人々から注目されている(大里 2003:3)。これは“現代音楽”なる領域が今日では既存のコンセンサスに守られて活力を失った領域に堕ち,ポレミックな音楽活動の中心地が他の場所に移っていることを示しているのかもしれない。

 

 

第3節 鈴木治行

 

1.時間の脱臼[46]

 技術の変化とともに音楽の素材面の解放は急速に拡大し,ノイズの使用はもはや我々に逸脱としての強い衝撃を与えない。今や音楽はどんな素材でも取り入れることができる。60年代に生まれた新しい世代の作曲家の一人である鈴木治行は,こうした状況を敏感に感じ取り,「音響が変わっても体験が変わらなければ本質的なものは何も変わらない」(鈴木 2001:75)と述べ,今日問い直すべきもののリストから音素材の問題を外した。彼は初期の頃から,音楽の聴取体験の問題に特に関心をもち,その作品群で新しい体験を生むための素材の操作方法を考えてきた。

リオタールは音素材の操作,音素材を「諸形式に組み立てる」(Lyotard 1988: 167)[47]ことに関してそれほど具体的には論じていないが,ソナタ形式のような伝統的構成法を,「作品の時間を,はじめと展開,そして,音楽的時間を組織する和声的な解答である解決を伴った終わりに閉じ込めてしまう叙事詩の弁証法」(ibid.: 184)[48],近代的な単一の物語への帰依の象徴として批判していた。またミニマル・ミュージックを「各楽段の間の顕著な差異の欠如によって,それらを数え把握することを禁じ,それらを忘却へと追いやる」(Lyotard 1979: 41)ものとして,記憶と分節による時(空)間の近代的構成や把握から脱する手法と考え評価していたようだが,鈴木も早い段階からミニマル・ミュージックが与える独特の時間体験に関心を持っていた。そして90年代以降鈴木は,そうしたミニマル・ミュージックを含むあらゆる音楽が暗に保持してきた“流れる時間”という考え方を問い直す音楽作りへと向かう。

西洋の音楽は,古典的ソナタ形式にしろ,ミニマル・ミュージックにしろ,どれも前から後へと続く一連の時間体験として作品の展開を考えてきた。例えばソナタ形式では,回帰する主題によって「時間の流れに明確な節目がつけられ」(ibid.: 76)ながら,始まり,展開,終わり,とういう一定方向に連なる整合性を持った流れに回収されるよう音楽的出来事が計画,構成されている。ミニマル・ミュージックに節目はないが,すべての音楽的出来事が連続的に順次緩やかに変化し,個々の出来事は,聴取者の一方向に淡々と流れる時間体験や「全一的な陶酔」(ibid. )の体験へ回収されていくよう構成されている。鈴木は,こうした一つの総体,一つの流れとして作品の時間を感じることに対し異議を唱え,音楽聴取における統一的で連続的な体験を引き裂くような仕掛けを考えた。

鈴木は自身が「反復もの」と呼ぶ90年代以降の一連の作品で,「いかに聴き手の耳を脱臼させるか」(鈴木 2001: 75)という問題を考えてきたという。この脱臼を実現するために彼は音楽上の分節行為が聴取体験に与える衝撃に注目する。リオタールは出来事を分節することを理性の物差しによって物事を判別・規定するものとして批判したが[49],鈴木はこの分節を過剰に投入することで,むしろ整合性を持った物事をこわし,聴取者の判断を狂わせようとする。

彼は聴き手に統一的な流れや構成を感じさせるような特徴的でまとまりのある様々な素材を用意し,それをもとの素材がもっているシークエンスに対して「より半端な箇所」(ibid. :76)で切断し折り返すことで,素材に対して我々が感じる統一的な時間体験に始終不器用な吃音を混入する手法を考え付いた。鈴木は「音響イヴェントは,端的にいえばただ『記憶に引っ掻き傷をつけるため』にのみ供されるのだ。・・・・・大事なのは音響自体ではなく時間体験であるが故に,逆にいえばどんな素材でも持ってくることができる」(ibid.)と言い,フリー・ジャズ的な自身の即興演奏,新古典主義の手法で書いたアンサンブル,ウェーベルン的な無調音楽,あるいはバッハの既成曲まで,様々な素材を様々な方法で切り刻んでいく。素材の切断や繰り返しの操作にはコンピューターを用いることもあるが,彼は聴取時の違和感を増すため,繰り返す断片に微妙な操作を加えて音を歪ませたり,音程をずらしたりして,感覚的により奇妙な場所,より不愉快な場所を探し,細かな操作を施していく。

不自然な分節を多用することで彼は聴取者の「全一化という安定への志向を異化し続け」(ibid.: 75),聴き手を心地よい流れに乗せることを拒み,整合性を持って一方向へ流れる時間体験とは異なる体験を生み出すのだ[50]。彼は自身の作法を説明する際好んで「関節はずし」や「傷をつける」といった言葉を用いるが(鈴木 2001),こうした言葉は素材に対する暴力性,そして聴取者の時間のイメージに対するこうした攻撃を表現している[51]。

あたかも画家たちが,透明なものとして隠されるべき白いキャンバスそのものをひとつのマチエールとして呈示していくように,音楽における時間体験,殊にその不均等さや不器用さを,素材を切断することで大胆に呈示していく彼独自の手法は注目に値する。

 

 

2.映画

聴取者の感覚や意識を乱す鈴木の活動は,映画音楽の仕事で,興味深い展開を見せる。彼は映画の仕事でも,観る者の統一的で安定した意識を乱す音楽を考えており,特に,映像と音の間に生まれる関係に注目した特異な創作を展開している。映画監督の青山真治とのインターネット上の議論[52]で,鈴木はこう言う。

 

僕にとって音楽は「関係」です。これは映画音楽に限っての話ではなく,自分自身が少なくとも90年代以降作ってきた音楽は基本的にこの認識の上に成立している。・・・・・僕の場合は,あくまでも映像に何らかの作用を与えるためには,ではいかなる音を持ってくればいいのか,というところから出発するのであって,はじめに「この音楽!」があるわけではない。(鈴木 B)

 

まず,鈴木治行にとって映画音楽は,映像から切り離した単体として名曲であるかどうかはまったく問題にならない。「反復もの」同様,問題はその素材がいかなる音程構造をもちどのような響きをもっているかではない。「反復もの」ならば素材と分節箇所の関係,映画の場合なら音素材と映像の関係こそ問題なのである[53]。彼は音楽で,「フィルム制作時に,考えうる動き〔引用者注:俳優や事物の動き,光や色彩の動き,画面構成の動き,モンタージュの動きなど〕の中の数多くの重要なものを除去」(Lyotard 1994: 57)[54]し,纏められた一つの作品としての映画を乱そうとする。彼は時に映像との間に齟齬や亀裂を生む音を選び,映像が持つ意味やイメージを打ち壊していく。

映像との関係に注目して書かれる鈴木の映画音楽は,映像と切り離して考察することができない。それは筋書き,映像,役者たちの台詞,雑多な効果音といった映画のあらゆる要素と関係しあい,それらに縛られ,規定されるもの,音楽としての自律性を放棄したところに生まれる音楽である。鈴木は映画と音楽両者の関係性を無視した音楽側の自由な実験,音楽を自律的な何ものかとして扱うことを常に退けており,それによって始めて,各要素との関係から,映画のなかで映画を乱すような新しい体験を生む音楽のあり方を打ち立てる事に成功した。

例えば,諏訪敦彦(のぶひろ)の監督作『M/OTHER』[55]で鈴木は,音楽が映像に「心地よく溶け合わない異物として」(鈴木 1999:45)対峙することを求め,音楽によって「映画に傷をつける」(ibid.: 45)ことを目指した。鈴木はまず映像,台詞,効果音,物語の進行,カメラワークといった映画内の全ての要素を読み込み,映画の持っているイメージと音楽をどう関わらせるか考えた。この作品がもつ生々しい男女の感情描写に感銘を受けた鈴木は,従来のような,シーンが本来持っている感情性をより強く惹起する音楽の付け方を拒んだ。彼は本来音楽を入れるべきであると判断される箇所を避け,より不条理な箇所に,映像のイメージと寄り添わない音を選び挿入して映画に傷をつけていく。この作品では 2時間半の映像にごくわずかな弦楽器の音が,決して寄り添うことなく異物としてところどころに挿入さる。音と映像との間の異物感は,映画そのものの持っている「齟齬感や倦怠感とどこかで呼応」(鈴木 1999:45)しながら,「映画をより『多層化』」(ibid.: 44)していく。映画の冒頭では,トイレに入る主人公の女の日常的な風景に,ノイズを多く含んだ弦楽器の緊張感ある音響が僅かに挿入される。ここでの明らかに不自然な音の挿入は,その後の男女の葛藤や不快な緊張感に対応しているが,観る側に強い緊張を強いる音と音が付加された映像の平凡さとの不自然な関係は,映像が映し,俳優が演じている以上の微妙な感情や,映像や音声が描くイメージを超えた思考の広がりの可能性を,各シーンに付加して行く。

 

 

3.共同作業

鈴木は自身の活動について,「『いかにして流れを切るか』ということへの考察がアプローチの違いから『反復もの』と『句読点』[56]という2つに分かれ,・・・・・映画は・・・・・実験的なことができる場合は,“統一された全体”の分断を」[57]試みているのだと述べる[58]。鈴木は音を挿入することによって,映画を傷つける(分断,多層化する)。とはいえここで仄めかされている通り,映画の仕事で鈴木の独創的なアイディアがいつでも自由に展開できるわけではない。特に監督が取り仕切る新作映画の場合は「監督が最終的な判断の権利を持っ」[59]ており,実際これまで彼が手がけた映画音楽の仕事の多くは監督の意向に従って「『映像の雰囲気に寄り添った音楽』を作」(鈴木1999:44)るものがほとんどであったという。

その点,過去のサイレント映画では監督の言葉に縛られることがなく,鈴木はより自由に,音と映像の関係を探求することができる。そこでは映像と音が「前景と背景の関係・・・・・そういったヒエラルキーを抱えたまま・・・・・なんとはなしに“和合”してしまう」(大里 2001:107)従来のあり方を超え,両者の対等なやり取りから,作品の単一性,統一的意味を乱すようぶつけ合わされている。この物言わぬ過去の偉大な監督たちとの共同作業はこれまでに3回行われたが[60],それは「音と映像がぶつかりあうことで,そのどちらもが何か決定的な変質を遂げ」(大里 2001:107)る大胆で斬新な試みである。

サイレント映画の場合も,諏訪との作業同様彼はまず映像そのもののあらゆる詳細を書き出し把握していく。数秒単位で,映されているものやカメラの動き,モンタージュなど映像の要素をすべて書き出し,映画の枠組みを把握する。こうして映像の上で何が起こるのかを記したシートを作り,映像そのものがもつ物語や意味,構造を分析していく。

例えばヴェルトフ監督作『カメラを持った男』は,1929年当時のロシアの町や炭鉱,人々の様子とそれを撮影するカメラを持った男の姿がめまぐるしいモンタージュで,ときにスローモーションや画面分割などの技術的加工を施され編集される実験的なドキュメンタリー映画であるが,鈴木はこの映画に音をつけるために,まず「この映画に何を見るか」(鈴木 C)考える。モンタージュ同士の意味の関連,ドキュメンタリーを作る人々を映すことによってこの映画が「『映画』という存在そのもののドキュメンタリー」(ibid. )というある種のメタ映画になっている点への注目など,鈴木は映画そのものが生み出す物語,映画そのものの筋や意味を解釈し徹底的に見極めていく。彼は言う。「その映画がシステムとしてどのようなありようの上に成立しているものなのか,という点がまず何よりも気にかかる」(ibid. )。鈴木は映画そのものの把握をした上ではじめて,それらとの関係から映画の枠組みを打ち壊すような音楽をつけることができるのだ。鈴木はこの自身の作法を「映画のそうした構造にいったんは寄り添いつつ,それを時には強化し,また時には別の構造を衝突させることでそれを振動させること」〔傍点引用者〕(ibid. )と表現する。

『カメラを持った男』の場合,彼は映像の中に切り取られたさまざまな事物の具体音を用意し,映像に合わせてそれらの配置を計画していくのだが,それら具体音は,いつでも映像に合致して鳴らされるわけではない。ある音に結び合わされるべき事物がスクリーンに現れるはるか前のまったく別のシーンの中で暗示的に鳴らされたり,映像には全く表れない音が鳴らされたりする。鈴木はこうした逸脱を仕掛けることで,映画を観る行為と音を聴く行為の間に矛盾や摩擦を作り,完成され綴じられた映画の枠を壊していく。

また,映画に対して行った鈴木なりの解釈行為によって発見された映画の新たな要素を引き出すために音響がつけられることもある。ムルナウ監督の『吸血鬼ノスフェラトゥ』で鈴木は,吸血鬼とヒロインの加害者と被害者の関係にかなわぬ恋の感情を見出し,吸血鬼が女性を襲うシーンの背景にワーグナーのトリスタンとイゾルデの断片を配置した[61]。この有名曲のわかりやすい耽美的な響きによって鈴木は,怪奇映画であるこの作品のもっとも恐ろしいシーンであるべき吸血鬼が美女に襲いかかるシーンに,そうした映像が持つ意味やイメージとは異なる,詩的でロマンティックなイメージを挿入し,映画の本来の枠組みからの逸脱を仕掛けた。

鈴木の音響は監督が規定したスクリーン上の完成作の限界を超え,それを時に乱し,時に傷つけ,時に補い,多様な手法によって映画を多層化していく[62]。しかし,鈴木はこうした活動を通して,対立物両者を弁証法的に解消し新たな物語を呈示していくわけではない。彼は第三の新たなあり方を打ち立てることは決してしない。フェラーリ同様,鈴木のサイレント映画の仕事は矛盾や齟齬そのものを解消することなく呈示しており,観るものの合理性や単一性への嗜好を裏切るものなのだ。

 

 

4.語りもの

さて,様々な領域で観る側の単一的なイメージを打ち崩す鈴木だが,彼が近年取り組んでいる「語りもの」と呼ばれる作品群[63]は,音と言葉とイメージがそれぞれ影響しあいながら多層的なイメージの場を生み出す極めて独創的な試みである。それは「“自然に統一された全体”に亀裂を入れる」[64]新しい形の作品である。

 鈴木がこの新たな音楽形態を生み出すきっかけは,1998年にアンサンブル・クラフトから受けたひとつの委嘱であった(鈴木 1999:45)。「言葉に何らかのアプローチをした作品」という条件がつけられたこの委嘱は,フルート,ギター,ピアノ,コントラバスというアンサンブルの奇妙な編成から考えても,一筋縄ではいかないものだったのだろう。「いかにして流れを切るか」[65]ということを常に考えていた鈴木は,この委嘱作で,一般的な歌曲における「テキストの意味性や感情性に音楽が寄り添い,それを敷衍,増幅することによって成立するような言葉と音との関わり方」(鈴木 1999:45)を拒否した。しかし彼は,20世紀の作曲家たちが行ってきた,「言葉を音素に分解し抽象的な音響素材として再構成する」(ibid. )やり方にも疑問を感じていた。

 

  このアプローチ〔引用者注:言葉を音素に分解し再構成するやり方〕の場合,確かにイメージにとらわれるという陥穽からは逃れることに成功している。しかし,それはいわばイメージをないものと見なし,意味の問題を一時棚上げにすることで成り立った消極的な姿勢なのだ。確かに,言葉を音響として扱うことで初めて成立した表現の独自性というものはあった。しかし言語が備えている,他の楽器にはない独自の特性とは何かを考えた場合,結局それは「意味性」であるはずで,その折角の独自の特性を回避することで成り立った表現は,今の自分には過去のモダニズムの遺物にしか映らない。(ibid. )

 

 フェラーリと同様に鈴木は意味やイメージといった不純物に注目する。そして彼は,このイメージを残したまま,かつそのイメージに取り込まれないような新たな道を探る。彼は,簡明で合理的に内容を伝える「語り」を利用することで,明確なイメージがありながら,そのイメージが,作品に関わるさまざまな要素によって裏切られ,傷つけられるという,多層的なイメージを持つった作品の創造に成功した。

 例えば《沈殿―漂着》では,語りのパートが,数人の中国人によって書かれた繊細な詩に鈴木が他のパートの演奏に関するコメントを書き加え整えたテキストを語っていく。曲中数箇所で語りは〈ここには,2通りの速度が混在している。半音階の速めの動きと,全音階の遅めの動きが。〉など,それぞれの場面でギターやフルートがどのような演奏をしているか具体的に言及している。それらはどれも解り易く正確に音楽の特徴を表している。しかし,作品の凡そ半分を経た辺りで数回,語りはそれまでのようにその場で行われている演奏行為を正確に言い表すのではなく,実際の演奏とは異なった内容,つまり嘘を語る。例えば語りが〈チューニングする主体は情景の音楽であることから離れ,今,ここに現前する。〉と告げる箇所がある。しかし,ここでフルートとギターはチューニングをしているわけでも,情景の音楽であることから離れているわけでもなく,それまで通り,語りが語っていた詩的なテキストに寄り添うような音型を奏で続けている(鈴木 S2003)。つまりここで,それまで一度も矛盾することなく対応していた演奏の内容と語りの内容の間に矛盾や齟齬が導入され,作品の中での合理的で単一的なイメージは傷つけられ,非合理な状態が生み出される。

また,この「語りもの」はアンサンブル形態の点でも非常に斬新である。「語りもの」の語りや音響などそれぞれの要素には,地と図といったヒエラルキーが一切存在しない。全体をある固定した視点から見渡すような指揮者や総譜も存在せず,アンサンブルを先導するリーダーも用意されていない。基本的にそれぞれがパート譜に基づいて自分たちの速度で自分たちの演奏をし,時にはそれらは折り重なってパラロジックな状態を生む。こうしたヒエラルキーの排除とパラロジックな状態の創出という点ではケージの《ミュージサーカス》と同じだが,「語りもの」ではさらに,そうした個々の演奏がいくつかのポイントで,お互いの独自性を保ったまま,淡く関係付けられるよう工夫が凝らされており,中央集権的な統一体とも,相対主義的なお祭り騒ぎとも異なる,関係のあり方を呈示しているのだ。

「語りもの」では,他の演奏者の演奏を合図にして自分の演奏を始めるタイミングなどが指示されることが多々ある。例えば,ソプラノ歌手とピアノ,ヴォーカル,キーボードに語りという5人の演奏者のための《陥没―分岐》(2000年作曲)では,演奏者たちに渡されたパート譜には,ひとつの曲から次のものへ,あるいはひとつのパラグラフから次のパラグラフへどのように移行するかの指示が与えられている。そうした指示によって,ある時は語りによって語られるある言葉をきっかけにピアノが演奏をはじめ,またある時は,ヴォーカルの歌をきっかけに語りが始まり,「語りの合図と共に,途中であってもやめる」(鈴木 S2000)といった指示によってまったく不用意なやり方で演奏は中断させられ,あるいはそのまま次の曲へ移行させられる。こうしたアンサンブル手法のために演奏に参加するものは,自分のパートを独立して演奏すると同時に,他者の音も聴き,お互いに関係を保ちながら曲を進めていかねばならない。

このように,鈴木の「語りもの」ではパラロジックであることと,他者と関係を保つことを各演奏者が同時にこなすよう指示されており,ヒエラルキーを排除しながらもなお,集団として一つの作品の中で関係を保つ興味深いアンサンブルの形態が呈示されている[66]。

鈴木はリオタール同様,単一的なあり方に異議を唱えるが,様々な素材を独創的な方法で自由に用い,理性・合理性批判一辺倒でもなく相対主義でもない新しいあり方を呈示する。ヒエラルキーを排除し単一的なものを切断する彼の各手法は,機構の打破の今日的なあり方の興味深い例の一つだろう。また,彼はフェラーリ同様に現代音楽の主流から距離を置きながら,映画関係者や美術家たちと様々な活動をしている。即興音楽や実験的ポップスと呼ばれる領域とも積極的に関わり,統一的な全体や明確な構造,あるいは理性的構築性を示す緻密なエクリチュールを求める“現代音楽”業界の要請とは異なる意識に基づき活動してきた。矛盾や齟齬を追及し,統一的な全体に亀裂を入れようとする彼の活動は “現代音楽”に代わり,今の音楽を活性化させる新しい波の一つといえる。

終章

 

 我々はリオタールのポストモダン論から出発し,機構の打破やそこからの逸脱というリオタールの考え方に注目しながら,その問題点も踏まえ,議論の枠組みを柔軟に活用して今日の音楽について論じた。逸脱は乗り越えられるものであり,さらに打破すべき機構そのものの設定も可動的なものである以上,単一的イデオロギーを逃れるリオタールの議論の有効性を引き伸ばすためには,常に論述を更新し,活性化せねばならない。21世紀の音楽実践を見れば,そこには様々な新しい逸脱や機構の打破の方法が示されており,リオタールが論じたことのない様々な問題系も提示されている。本稿は,リオタールの論を概観した上でそれを通してこうした新しい音楽を論じ,リオタールのポストモダン論が持っている有効性を示すと同時に,今日の音楽についての新たな記述の可能性を探れたのではないだろうか。

とはいえ,本稿での音楽についての論述は極めて大雑把なものであり,今後さらに深めて行かねばならない。

リオタールの理論的側面についても,問題を単純化しすぎる嫌いがあり,勉強不足な点など,悔やまれる箇所は多い。殊に『ディスクール,フィギュール』を中心としたリオタールの崇高論について触れることができなかったことなど,反省すべき点は多い。

折衷主義―ポストモダンとしてまとめた,リオタールとは異なるポストモダン論を論じる論者についても,不十分な点が多く,彼らの理論がもつ限界点や批判すべき点についても十分追及することができなかった。折衷主義―ポストモダンを美学的態度として論じる試みは今後さらに精度を高め,続けたいと思う。

 

 

 

(改訂版第1版・完)

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[1] dispositifは一般的に「配置」「装置」などと訳される(『クラウン仏和辞典』,三省堂,1982年, The Concise Oxford French-English Dictionary. Oxford University Press, 1970. )。リオタールはこの語を,理性や合理性への要求に従い物事を選別・形成する西洋の文化的枠組みという意味で使用しており,さらに本稿の第2節で見て行くように,彼は理性に従い物事を選別する西洋的あり方をフロイトの夢の理論になぞらえて説明して行く。リオタールのdispositifは彼の西洋合理主義批判を支える重要な概念であり,特殊な意味が付された用語であるため,邦訳の際は一般的に「機構」という特殊な語が当てられている。なぜこの訳語が選ばれたかははっきりしないが,リオタールは西洋が行う非理性的なものの抑圧をフロイト理論において意識が行う無意識の抑圧と同じものとみなしており,フロイトの夢判断でこうした操作を行う場所としての我々の心のことが「心的機構 seelische Apparat」(フロイト 1969:下388)と表現されていること,あるいはフーコーの「装置dispositif」の概念との混同を避ける意味もあって「機構」という特殊な語が選ばれたのではないだろうか。

[2] これはもっと深い問題!リオタールの,哲学を再考する,存在論を問い直す,というような姿勢であって,合理主義批判などはむしろこうした本流の枝葉にすぎない。

[3] ここはストレートにつなぐべきでは無い。マルクス主義に従事したリオタールと『ポストモダンの条件』におけるリオタールは少し意味合いが別だろう。

[4] 一般的に「大きな物語」あるいは「メタ物語」と訳されている語は,metarecit,grand recit,metanarratif,の訳出である。『ポストモダンの条件』において,これらはどれもほぼ同じ意味で用いられており,後にリオタール自身,「メタ物語(metarecit)あるいは大きな物語(grand recit)によって,私は,正確に正当化の機能を担う語り(narations)のことを意味している」(Lyotard 1986: 38)と言っていることから,それぞれの用語に意味の上での大きな違いはないと見なし,ここではこれらを「大きな物語」と統一して訳出した。

[5] フランス語のscienceは人文科学など広く学問一般を指す。ここでもいわゆる日本語の「科学」がもつ意味との誤解を避けscienceを「学知」と訳した。

[6] リオタールと言語ゲーム論に関しては今後さらなる研究が必要である。

[7] 例えばハーバーマスの議論を参照(Habermas 1981)。リオタールは『ポストモダンの条件』そのほかの論述でも,ハーバーマス批判を展開している(Lyotard 1979: 105-106, Lyotard 1996: 13-16)。リオタールとハーバーマスの相違を論じたものとして,[浜田 1992]などがある。

[8] 統一的なイデオロギーへの回収を恐れて永遠革命を訴えるリオタールだが,そうした逸脱や問題定義の動きがそもそもシステムによって求められていると言う時,そこには微妙な後味が残る。

[9] こうした抑圧と解放の図式は,フロイトの無意識についての論考に負うところが大きいが,それについては後の節で詳しく論じる。

[10] リオタールによるフロイトの展開を論じた論文としては他に,[篠原 1984],[高瀬 1995]などがある。

[11] フロイトは,リオタールが特に注目しているような現代芸術の諸動向,あるいはフロイト自身と同時代に起こった芸術活動に対して積極的な関心は示していないという(Lyotard 1994: 75)[Des dispositifs pulsionnels. より,1971年初出の“Freud selon Cezanne.”]。リオタールがフロイトから現代芸術を論じたのではなく,現代芸術からフロイトを読み解いたのだという指摘[リオタール「フロイトとセザンヌ」,小林康夫,小宮山隆訳,『エピステーメー』1977年,3(1)所収,107-125(“Freud selon Cezanne”の邦訳),訳者付記(124-125)]は興味深い。

[12] ポストモダン,アヴァンギャルド,そして19世紀。リオタールの芸術論を読み解く上で繰り返されるアヴァンギャルドの語についてはいくらか注意が必要かもしれない。アヴァンギャルドという言葉そのものが,時代様式から活動理念まで,様々な意味合いを持っている。

[13] L’inhumainより,1982年初出の“Representation, presentation, impresentable.”

[14] 私はこの論文で,リオタールの著作のもつ可能性を少々殺し,近代批判というキーワードを前面に出しすぎたかもしれない。実際,啓蒙主義や近代合理性の批判をリオタールはしているが,果たして彼の芸術に関する記述のすべてをそこに結びつけることは良いやり方だったのか。今では私もいささか自分の方法に修正を加えるべきであると思っている。

[15] この「呈示しえぬものの呈示」という考え方は,カントの崇高論に多くを負っている。カントの崇高論と呈示しえぬもの(不定形なもの)の考え方と,リオタールに代表されるその後の崇高論の諸展開については[宮崎 2006]が大変参考になる。

[16] L’inhumain より,1987年初出の “Apres le sublime, etat de l’esthetique.”

「リオタールの定式は,呈示しえないものを呈示することとして理解されるのではなく,呈示しえないものは呈示しえないが・・・・・呈示しえないもの『がある』ということ」(小野 1990:9)を示すものと考えねばならない。

[17] 小林康夫によれば,リオタールは一次過程と二次過程という問題設定によって,「マルクス主義と現象学の共通の限界であった〈主体〉という体制を,まさに概念や表象の可能性以前の,つまりあらゆる体制以前の原初的欲動によって解体することを目指していた」[傍点筆者](小林 1992:223)という。

[18] このセクションについては今後研究を深め,全面的に拡大改変の予定である。「呈示しえぬものの呈示」のテーマはリオタールを研究する上で非常に重要であり,それは,存在論,そして他者の問題といった様々な哲学的問題を通り,崇高論へ繋がる。

[19] こうした理想像が,リオタールの批判していた情報化社会のヘゲモニーにおける新たな規範,つまり操作的でありスピーディーであれ,という遂行性追及のイデオロギーの規定(Lyotard 1979: 11-17)に似通っていることは注目すべき点の一つである。

[20] 参照したのはL’inhumainより,1987年初出の“L’obedience.”

[21] 音楽と情動の結びつきについては様々に論じられているが,同じ音楽的要素でも,時代や土地や文化の違いによって様々な感情に結び付けられていることから,それらはどれも文化的枠組みによって規定されたものと理解できる。例えば西洋音楽において短調は悲しみを表現する要素の一つと捉えられていることが多いが,バロック期の情緒論においてそれらは必ずしも悲しみに結び付けられてはいなかった。また,西洋の短調と同様の音階を持つ日本のいわゆる都節は,我々日本人にとっては悲しみの表現ではなく,雅さを表現するものと捉えられている。河村光陽が作曲した《ひなまつりのうた》はその一例であろう。あるいは,音の高さを上下として捉えるやり方は,各文化における教育の中で獲得される恣意的なものであることもわかっている。つまり,文化や時代が違えば,音楽の情動的,感覚的捉え方は変化し,これらの結びつきは絶対的なものではなく,それぞれの文化が定める形式の一つとして後天的に獲得されるものなのだ(ナティエ 1996:153-163)。また,音楽における形式論と表現論の極端な色分けに修正を施そうとしたものに[近藤 2006:40-76]がある。

[22]L’inhumain より,1987年初出の“Apres le sublime, etat de l’esthetique.”

[23]L’inhumain より,1987年初出の“Dieu et la marionette.”

[24] 20世紀の音楽上の大発明とも目されるシェーンベルクからブーレーズにいたるようなセリエリズム(音列作法)は,ごく簡単に説明すれば,音階上の12の半音すべてを同等に扱い,12の音が,ある音だけ反復するようなことなしに,それぞれ1回ずつ現れる音列を組み合わせて音楽を構成する技法である。

[25] Des dispositifs pulsionnels. より,1972年初出の“Adorno come diavolo”,このテクストはサイコロにより記述の内容と配置が決められている。

[26] セリエリズムに対する,こうした観察と批判は,リオタールに限らず多くの音楽関係者によって指摘されていることでもある(近藤 2006:52,椎名 2005:12-14)。さまざまな現代の音楽語法の中でも,セリエリズムが戦後の楽壇ですんなり受け入れられ,アカデミックな場での主導権を握るようになったということも,この語法が基本的には古い音楽語法が持つ理性的,合理的態度を保持していたということを証明しているかもしれない。

[27] リオタールはベリオの《セクエンツァⅢ SequenzaⅢ》における声の使用法に注目している。そこではこれまで楽音として扱われていなかった叫びや嗚咽が用いられる。

[28] L’inhumain より,1987年初出の“L’obedience.”

[29] “Adorno come diavolo.”

[30] L’inhumain より,1985年初出の“Quelque chose comme: communicasion... sans communicasion ≫ .”

[31] L’inhumain より,1987年初出の“L’obedience.”

[32] もちろん,リオタールがこうした作曲家たちを,その名前のみで,合理的構成を守る保守的な作家と前衛的で挑発的なポストモダンの作家を色分けして考えていたわけではないことは明記しておかねばならない。シェーンベルクやブーレーズの名は,合理的構成を示す作曲家の象徴としてたびたび使われているが,それでもリオタールは,彼らの個々の作品を見極め,こうした機構からの逸脱,合理主義の放棄を見出すことができるものがあればそれを的確に指摘し,論述に取り入れていく。例えば,ヴァレーズが考えていた分節され把握されうるような従来の作品構成ではない,一塊の総体としての作品という概念と,ブーレーズの《レポンRepons》との共通性についての言及(Lyotard 1988: 182)からは,リオタールが表面上の分類にとらわれることなくそれぞれの作品をしっかりと聴いて論じていることがわかる。

[33] もちろん引用は古くから音楽的実践の中で用いられており,例えばルネッサンス期のモテットなどにも既存の楽曲を全く異なるコンテクストを持つ新たな楽曲の制作に利用するという引用技法の一例を見て取れる。だがここで注目しているのは19世紀以降の引用技法が示してきた近代的意識とは異なる意識から生まれた引用であり,それを支える新しい意識や態度である。

[34] 自宅のオーディオ機器の前で自由に聴取を行う新しい感覚を持つ聴衆には,もちろん,その感覚から新しい作品を生み出す作曲家たちも含まれるだろう。

[35] リオタールが啓蒙主義を批判するために言った言葉(本稿の第1章,第1節「2.批判――脱正当化」)が,そのままリオタールへの批判の言葉ともなることに気がつく。つまり,理性によって閉じられた扉についての表示的言表は,その扉を壊し,抑圧されていたものを解放すべきであると説く命令的言表を正当化することはないのだ。

[36] この節は極めて不完全である。今後改訂を重ねたい。

[37] リオタールはその音楽論において,楽典に見られるような音楽における既存の構成法の規則に加えられる作家や作品が示す逸脱や打破の動きを中心に音楽について考察した。本稿もそれに従い,主に作家と作品を考察の中心とし,聴取や演奏の問題には深く立ち入らなかった。

[38] この論文でのジョン・ケージの扱いは,リオタールのケージに関する論述を批判的に読むことでその論が絶対的なものではなく,むしろ我々が積極的に展開し,柔軟さを加味せねばならないということを示すための生贄といったもので,ケージについて真に興味深い議論は行っていない。ケージについては今後,より深い議論をして行きたい。特に,今回深められなかった音楽を論じる際に使われている記号論的図式や考え方の再考とケージの活動を結び,議論を広げて行く予定である。

[39] 音楽について考える際,演奏や聴取の問題を度外視して作曲や音楽理論の変化のみに焦点を絞ることには問題点が多々ある。だがリオタール自身,音楽について「作曲―演奏―聴取」といった伝統的な図式を援用して論じることを避けていたようにも見受けられる。リオタールが音楽について語ったものの中には,演奏の問題への接近を見せるものもあるが(Lyotard 1988: 167-168),こうしたコミュニケーション図式の問題に対するリオタールの立場は曖昧である。しかしながら,この問題についての論究は今後改めて行うこととし,本稿ではこれ以上追求しない。

[40] 本稿の第1章,第1節の「4.逃走というイデオロギー」及び第2章,第1節の「1.2つのポストモダンの間に」を参照せよ。

[41] ここで言われる持続(lengths)は,物理的尺度としての時間のことである。持続の訳語はケージの手法の表現としてある程度定着しているようだ。柿沼が邦訳したケージの『サイレンス』の該当箇所の他,[枡矢 2000:24],[松平 1995:46]などでは手法の具体的な説明とあわせてこの語が用いられている。また,岩佐が邦訳したシャルルの『ジョン・ケージ』,訳書73頁でも構造化の手段としてケージが着目したものを持続と訳しており,[グリフィス 2003:37]での堀内の邦訳では,構造化の手法そのものは「リズム構造」とされているが,音と沈黙に共通する特性としてケージが注目したものについて,持続と訳している。恐らく,「長さ」という邦訳をあてると,用いられる楽音の長さ,つまり音価と混同されやすいため,あえて持続という訳を付し,ケージが音と沈黙双方に共通する特徴として重視していたこの概念の特異性を強調しているのではないか。本稿でもこれらに従い,持続という訳語を用いた。

[42] 本稿の第2章,第1節の「2.リオタールの音楽論」を参照せよ。

[43] 1956年にシェフェールが創始した音楽探求グループ(Groupe de Recherches Musicales)の略。このグループにはフェラーリも関わっているが,彼の逸話的音楽をめぐるシェフェールらとの微妙な関係から,フェラーリは1966年にこのグループを離脱している。

[44] 作品タイトルの邦訳は,コー著『リュック・フェラーリとほとんど何もない』の巻末につけられた作品表における椎名亮輔の訳出に従った。

 

[45]本稿の第3章,第2節の「1.イメージの奪還」を参照せよ。

[46] ここで言われる時間とは,あるまとまりを持った統一的で持続的な作品聴取における時間体験のことであり,物理的に測定される時間ではない。

[47] L’inhumain より,1987年初出の“Dieu et la marionette.”

[48] L’inhumain より,1987年初出の“L’obedience.”

[49] 本稿の第2章,第1節の「2.リオタールの音楽論」を参照せよ。

[50] もちろん作品の効果は聴取者の文化的背景や聴取の状況に左右されるため,こうした仕掛けが思ったように働かず,失敗することもあるが,「反復もの」における作者側の意図は常に流れの切断にある。

[51] 鈴木治行における暴力的な面を指摘するものとして[大里 1996]がある。大里は鈴木の作曲にシステマティックな形式への嗜好を指摘しながら,「しかし,その一方で,暴力的な破壊への意志,逸脱といい加減さへの嗜好もまた,観て取れることは間違いない」(ibid. )と指摘する。大里は,「組み立てられた素材を通じての時間体験」(ibid. )を追求する鈴木の作品における「“古典的”な響きの前景を異質な音響の侵入によって脱臼させ,しまいにはどれが地でどれが図か分からなくさせてしまう試みに・・・・・鈴木治行の悪意と呼んでよいものが感じられ」(ibid. )るという。この異質な音響の挿入によって音楽を脱臼させる試みは,鈴木の作品の中でも特に句読点と呼ばれるソロ楽器のための作品群で探求されている。大里はここで例として「殺しの烙印」(1995年作曲)を取り上げているが,この曲では,本来ソロ楽器のためのシリーズで試みられていた異物の混入が,アンサンブル曲に部分的に応用されている。しかし,ここでは地となるハイドンの既成曲も,「わざわざぎくしゃくするように変形」(鈴木 2001:79)されていることを忘れてはいけない。

[52] インターネット上に発表された2001年の第54回カンヌ国際映画祭に関する青山真治のレポート(青山 A)の中で,日本公開がまだ決まっていなかった諏訪敦彦監督の出品作品「H story」の音楽が批判されたことを受けて,その音楽を担当していた鈴木治行は一般公開の決まっていない作品への青山の一方的判断に対して反論を投稿(鈴木 A)。青山はそれに対してさらに[青山 B]で返答を返したが,それを踏まえた鈴木の更なる反論(鈴木 B)の後,議論は途絶えた。この一連のやりとりの中で,鈴木は自身の映画音楽の作法について興味深い証言をしている。

[53] 彼が言う関係というのは,音響的出来事と映画そのもののイメージが折り重なり相互に影響を与え合うことで,彼が映画音楽で問題としているのは,聴覚上の出来事と視覚のそれとを混ぜ合わせ,整合性を持たない新たな状態を生み出すことである。

[54] Des dispositifs pulsionnels. より,1973年初出の“L’acinema .”

[55] 1999年,第52回カンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞。『M/OTHER』は,映画監督諏訪敦彦と仕事をした最初の一本である。諏訪との共同作業はその後,『H story』(2001年制作),『Un couple parfait』(2005年制作)[55]と続き,豊かな成果を生んでいる。

[56] 「句読点」は鈴木のソロ楽器のための作品群のこと。この「句読点」というタイトルがつけられた作品群では,「反復もの」とは別の方法で流れの切断が試みられている。鈴木はこのシリーズで,複数の異なる素材を用意し,ある素材の間に用意した別の素材を楔のように挿入することで切断し,異物感を作り出している。

[57] 鈴木治行,筆者宛ての電子メール,2006年8月11日。

[58] 鈴木がここで言う“統一された全体”というのは,映像や音声,効果音などによって完結したひとつの物語として呈示される映画そのものを指す。例えば新作映画では,作曲家には通常,撮影,編集,役者たちのアフレコを終えたVTRが手渡され,それを元に作曲家は音楽を書く。鈴木の場合,音楽が付けられる前の半完成品であるこのVTRで呈示される物語や統一的意味をどのように打ち壊すかを考えようとしているのだが,以下で考察するサイレント映画の場合,もともと音楽が付く前の段階で映画は完成しており,そのこともあって,彼のサイレント映画の仕事が特に「“統一された全体”の分断」の意識をよりはっきりと示すと思われる。

[59] 鈴木治行,筆者宛ての電子メール,2006年8月11日。

[60] 2000年12月14日,15日に東京都内で上演されたF.W.ムルナウ監督の1922年制作『吸血鬼ノスフェラトゥ』,2005年1月29日多摩市にて上映されたC.ドライヤー監督の1927年制作『裁かるるジャンヌ』,そして2006年1月7日多摩市にて上映されたД.ヴェルトフ監督の1929年制作『カメラを持った男』。2001年3月11日に調布で行われたS.エイゼンシュタイン監督の1925年制作『戦艦ポチョムキン』で鈴木は,大編成のアンサンブルへの編曲を担当し,ライヴでは自身,電子音響を操作した。しかしこのときの企画はあくまでも,『戦艦ポチョムキン』が1926年にドイツで上映された際にエドムント・マイゼルが作曲したスコアに基づいた復刻上映であり,鈴木は,新たに作曲をしたわけではなく,マイゼルのスコアの編曲を担当したに過ぎない。

[61] 鈴木は「その映画が元々持っている方向性の芽を見出し,その延長線を更に引っ張ってその先に至りたい」(鈴木 C)という。この作品で鈴木は厳格な構造上の分析をしつつも自らの自由な解釈に従い,映像では描かれていない恋愛感情を音楽が表すことで,結果として元の映画がもつ単一的な物語の枠組みを壊し,イメージを多層化することになった。なお,フランシス・F・コッポラ監督が1992年に制作した『ドラキュラ』はムルナウの『吸血鬼ノスフェラトゥ』と同じブラム・ストーカーの原作によっているが,コッポラはこの映画で吸血鬼とヒロインのミーナとの関係を明確に恋愛関係として描いている。

[62] こうした鈴木の姿勢は,デュラスの映画作品における音楽のあり方から強い影響を受けている(鈴木 1999:43-44)。また,音の持つイメージと物語的イメージ,映画そのものがもつイメージとをぶつけて行くという方向がもっている可能性を意識し自身の創作でそれを試すには,音に付随するイメージを大胆に取り入れたフェラーリの逸話的音楽の存在があったことも忘れてはならない(ibid.: 42)。

 

[63] これまでにこの系列の作品は1998年の《浸透―浮遊》(フルート,ギター,ピアノ,コントラバス,電子テープ,語りのための),1999年の《伴奏―齟齬》(トモミン,ピアノ,語りのための),2000年の《陥没―分岐》(ソプラノ,ピアノ,ヴォーカル,キーボード,語りのための),そして2003年の《沈殿―漂着》(フルート,ギター,電子テープ,語りのための)の4作が作られている。

[64] 鈴木治行,筆者宛ての電子メール,2006年8月11日。

[65] 鈴木治行,筆者宛ての電子メール,2006年8月11日。

[66] こうした形態のヒントの多くを,鈴木は即興パフォーマーたちの実践から得ていると考えることもできるだろう。

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